- 投稿 2018/05/07更新 2018/05/08
- 奈良の神社 - 奈良市

◆春日大社再訪記
藤が咲き誇る春日大社と萬葉植物園へ行ってきました。
前回の参拝記事はこちらから↓
春日大社(奈良市) 御蓋山に鎮座する世界遺産の大社【御朱印】
春日大社の社紋は「下り藤」。
平城京鎮護の神様であり、また、藤原氏の氏神様でもある春日大社には、 「下り藤」の社紋に見られるように藤の花が咲き誇っていました。
では、藤の花が美しい春日大社、そして萬葉植物園へとご案内しましょう。
2018/05/07
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2018/05/01
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2018/04/29
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2018/04/11
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2018/03/27
手力雄神社(たぢからおじんじゃ)は、奈良県奈良市橋本町に鎮座されています。春日大社境外末社である手力雄神社。手力雄神社は人目に付きにくい所にあるせいか、ほとんど ...
◆春日大社再訪記
藤が咲き誇る春日大社と萬葉植物園へ行ってきました。
前回の参拝記事はこちらから↓
春日大社(奈良市) 御蓋山に鎮座する世界遺産の大社【御朱印】
春日大社の社紋は「下り藤」。
平城京鎮護の神様であり、また、藤原氏の氏神様でもある春日大社には、 「下り藤」の社紋に見られるように藤の花が咲き誇っていました。
では、藤の花が美しい春日大社、そして萬葉植物園へとご案内しましょう。
往生院(おうじょういん)は大阪府泉南市にある真言宗御室派の仏教寺院です。
山号は明王山。
ご本尊は十一面観世音菩薩。
680年、天武天皇の勅命により国家鎮護の為に道昭(どうしょう)が創立しました。
道昭が創立したこの寺院は、五丁四方の広大な境内を持ち、飛鳥寺様式の伽藍配置であったようです。
1585年(天正13年)、豊臣秀吉の根来攻めで、伽藍はほとんど焼失してしまいました。
その後、文禄の太閤検地で境内は404坪となり浄土宗に改宗されましたが、1681年(元禄4年)、真言宗に戻り、京都仁和寺は本山となりました。
では、熊野街道沿いに佇む往生院へとご案内しましょう。
長慶寺(ちょうけいじ)は大阪府泉南市にある真言宗泉涌寺派の仏教寺院です。
神亀年間(724年頃)、聖武天皇の勅願寺として行基により、海会宮寺として創建されました。
ご本尊は如意輪観世音菩薩。山号は金泉山、院号は慈昌院。
こちらのお寺はあじさいが美しく「あじさい寺」とも呼ばれています。
熊野街道信達宿にある梶本家の野田藤を見た後、こちらのお寺に寄らせて頂いたのですが、こんなに素晴らしいお寺だったとは!!
さほど広くはない境内なのですが、美しいお庭や三重塔、多宝塔や石仏などがギュっ・・っと詰め込まれた、まるで宝石箱のような素晴らしいお寺でした。
では、長慶寺へとご案内しましょう。
天野山金剛寺(あまのさんこんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派大本山の寺院です。
金堂落慶を記念して行われている特別拝観に行って参りました。
三度目の「平成大修理」と言われていた金堂ですが、鎌倉時代に建立された金堂の一度目の修理は1605年に豊臣秀頼が、二度目は1700年に岸和田藩主・岡部美濃守長泰が徳川幕府の命を受けて行われました。
では、9年間の修理期間を経て、美しくなった金堂へと参りましょう。
醍醐寺は開山以来、天皇、貴族、武家、民衆など、多くの人々の祈りにより守られてきました。
その歴史の中で育まれた仏像、絵画、工芸品など、約10万点以上の寺宝を伝承しています。
霊宝館は、これらの貴重な寺宝の保存と公開を兼ねた施設として、昭和10年(1935)に開館しました。
では、霊宝館へとご案内しましょう。
醍醐寺②では、醍醐寺の伽藍エリアをご紹介したいと思います。
伽藍エリアは下醍醐とも呼ばれています。
伽藍エリアは、醍醐寺の本堂である金堂(国宝)や、五重塔(国宝)、西国三十三所札所になっている観音堂など、たくさんの堂宇が立ち並び、見どころがたくさんあります。
では、伽藍エリアをご紹介しましょう。
醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある仏教寺院です。
真言宗醍醐派総本山で、山号は醍醐山(深雪山)。
弘法大師の実弟・真雅僧正の弟子である理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)により、貞観16年(874)開創されました。
豊臣秀吉が「醍醐の花見」をした地として有名であり、桜の名所としても知られています。
では、桜が咲き誇る醍醐寺へとご案内しましょう。
随心院(ずいしんいん)は、京都市山科区小野にある真言宗善通寺派大本山の仏教寺院です。
小野小町ゆかりの寺として知られている随心院の創建は991年、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海(にんがい)の開基で、古くは曼荼羅寺(まんだらじ)と称されました。
曼荼羅寺は、仁海僧正一夜の夢に亡き母が牛に生まれ変わっていることを見て、その牛を鳥羽のあたりに尋ね求めて飼養しましたが、日なくして死んでしまい、その牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き本尊にしたことに因んでいます。
第五世、増俊阿闍梨の時に曼荼羅寺の子房として隨心院を建立し、ついで第七世、親厳大僧正が寛喜元年(西暦1229年)後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り、以来隨心院門跡と称されています。
ご本尊は如意輪観音。
では、絶世の美女と言われた小野小町の遺跡が残る随心院へとご案内しましょう。
勧修寺(かじゅうじ)は、京都市山科区にある門跡寺院です。
平安時代中期、昌泰3年(900)に、醍醐天皇が生母の藤原胤子(ふじわらのいんし)の追善の為に創建されました。
寺号は醍醐天皇の祖父、藤原高藤の諡号をとって勧修寺と号します。
真言宗山階派の大本山、山号は亀甲山。
私が訪れたこの日は、お花見にはまだ少し早いような感じでしたが、随心院へ行く前に行ってみることにしました。
なんてったって、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」のキャンペーンポスターがあまりにも素敵だったので(笑))
では、勧修寺へとご案内しましょう。
手力雄神社(たぢからおじんじゃ)は、奈良県奈良市橋本町に鎮座されています。
春日大社境外末社である手力雄神社。
手力雄神社は人目に付きにくい所にあるせいか、ほとんどの人が気付かずに前を通り過ぎて行きます。
そういう私も、偶然に出会えたんですけどね(笑))
手力雄神社と出会えたこの日は、近鉄奈良駅から商店街を抜け、猿沢池方面へ歩いていました。
ん・・・?
何やら歴史ある物体を発見!!
気になるので、立ち止まって見てみますと・・・。