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玉置神社(奈良県十津川村) 呼ばれた人しか行けない神社で神秘を体感!【御朱印】

玉置神社(奈良県十津川村) 呼ばれた人しか行けない神社で神秘を体感!【御朱印】

玉置神社(たまきじんじゃ)は、奈良県吉野郡十津川村に鎮座しています。

主祭神は国之常立神、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大御神、神日本磐余彦命。

社伝によりますと神社の草創は、神武天皇御東征の折、八咫烏の案内にて熊野より大和の地を目指す途上、この地にて十種神宝を奉じ、身の安全を御祈願されたことに始まるとされ、古誌には第十代崇神天皇の御宇に天下安泰と悪魔退散を祈願して社殿が創建されたと記されています。

「呼ばれた人しか辿り着けない」と言われている玉置神社は、今や大人気のパワースポットとなっています。

訪れたのは7月下旬。

玉置神社は玉置山(標高は1076.4メートル)の山頂下の9合目に位置していますので、とても涼しかったです。

それでは、玉置神社へと参りましょう。

 

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都祁水分神社(奈良市都祁友田町) 白龍が舞い降りた飛鳥時代からの古社【御朱印】

都祁水分神社(奈良市都祁友田町) 白龍が舞い降りた飛鳥時代からの古社【御朱印】

都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁友田町に鎮座しています。

大和国水分四社(都祁・宇陀・吉野・葛城)の一つで、古来から水の神として崇拝されてきました。

御祭神は、速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)・天水分神(あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)。

創建年代は不詳ですが、社伝によると飛鳥時代の創建とされています。

当初は都祁山口神社(小山戸)の地に鎮座していたとされ、現在の鎮座地は聖武天皇が行幸の際に使用された堀越頓宮の伝承地であり、平安時代には都介頓宮となり、伊勢斎宮の皇女の宿場として使用されたようです。

境内は清々しく、ご神気を感じる素晴らしい神社でした。

それでは、都祁水分神社へと参りましょう。

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雄神神社(奈良市都祁白石町) 大神神社の奥の院と称される白蛇が住まう禁足地

雄神神社(奈良市都祁白石町) 大神神社の奥の院と称される白蛇が住まう禁足地

雄神神社(おがじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁白石町に鎮座しています。

御祭神は出雲健男命(いずもたけおのみこと)。

雄神神社は本殿がなく、こんもりとした2つの山の雄雅山(右)と雌雅山(左)からなる野野上岳(ののがみだけ)を御神体としています。

野野上岳の山頂には白蛇が住んでいると伝えら、現在も禁足地となっています。

また、奈良県桜井市に鎮座する大神神社の奥の院とも言われています。

それでは、雄神神社へと参りましょう。

 

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國津神社(奈良市都祁白石町) 古代の信仰を宿す白い石

國津神社(奈良市都祁白石町) 古代の信仰を宿す白い石

國津神社(くにつじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁白石町に鎮座しています。

御祭神は大国主命。

かつて、大和国北東部の古代国・闘鶏(つげ、現・奈良県奈良市旧都祁村)は、闘鶏氏が統治していて、闘鶏国造(つげのくにのみやつこ)が置かれていました。

闘鶏氏は神武天皇の皇子である神八井耳命(かむやいみみのみこと)の後裔だといわれています。

古代ツゲ国の中心地、つげ平野の東方・水湧庄の中央丘陵・字神子尻に大きな白い石があり、古代の信仰を集めていたと伝わります。

国つ神として崇敬せられ、社殿を建立、国津大明神と称せられました。

古代の信仰を集めていた白い石、そして、國津神社が鎮座する地名は白石。

國津神社のキーワードは白い石?

それでは、古代信仰の息吹を感じる國津神社へ参りましょう。

 

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龍雲寺(富田林市) お釈迦さまの生涯を実感できる河内西国霊場【御朱印】

龍雲寺(富田林市) お釈迦さまの生涯を実感できる河内西国霊場【御朱印】

龍雲寺(りゅううんじ)は、大阪府富田林市加太にある黄檗宗のお寺です。

山号は智福山。

龍雲寺は、かつて河内長野市石見川にある真言宗の古寺でしたが、享保九年(一七二四)狭山藩主北條氏朝の援助のもと、独園和尚が開山となり、黄檗宗に改宗、北條家と狭山藩士ならびに加太新田農民の菩提寺としてこの地に移されました。

山門から本堂に続く参道には、お釈迦さまの生涯を実感できるよう、ちょっとしたテーマパーク?的な感じになっている楽しいお寺さんでした。

それでは、お釈迦さまの生涯を楽しく学べる龍雲寺へと参りましょう。

 

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陶荒田神社(堺市) 大田田根子の祖先神を祀る古社【御朱印】

陶荒田神社(堺市) 大田田根子の祖先神を祀る古社【御朱印】

陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は、大阪府堺市中区上之に鎮座しています。

和泉国大鳥郡の式内社。

御祭神は高魂命(たかみむすびのみこと)、劔根命(つるぎねのみこと)、八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)。

第十代崇神天皇の7年に、素盞鳴命(すさのおのみこと)十世の孫、太田田根子命(おおたたねこのみこと)がこの陶邑(すえむら)に社を建てたと伝えられています。(陶荒田神社の表記に従い「太田田根子」と記載します。)

太田田根子命の子孫の荒田直が祖先神をお祀りし、その後、地名の陶(すえ)と人名の荒田(あらた)から「陶荒田神社」と呼ばれるようになりました。

須恵器(日本の陶器の祖)の発祥地に鎮座されていることから、別名、陶器大宮とも呼ばれています。

境内はとても清々しい空気が流れていました。

それでは、陶荒田神社へと参りましょう。

 

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蟻通神社(泉佐野市) 枕草子に登場する紀貫之ゆかりの神社

蟻通神社(泉佐野市) 枕草子に登場する紀貫之ゆかりの神社

蟻通神社(ありとおしじんじゃ)は、大阪府泉佐野市長滝に鎮座しています。

かつては蟻通明神と呼ばれていました。

主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。

社伝によれば第9代の開化天皇の御宇勧請により、弥生時代中期の紀元93年に、五穀豊穣・国土開発を祈る目的で祀られたのが始まりと伝えられています。

1942年(昭和17年)に佐野陸軍飛行場を建設するため現在地への移転が始められ、1944年(昭和19年)8月に遷座されました。

その際規模は縮小されましたが、社殿・舞殿・門・灯籠などの建造物はほぼ元通りに配置され、神社内の殆どの建造物が国登録有形文化財に指定されています。

 

平安時代の歌人清少納言の随筆「枕草子」に、「蟻通の明神。貫之が馬のわづらひけるにこの明神のやませ給ふとて・・」と、蟻通明神が登場する段があります。

「枕草子」に記された蟻通明神と紀貫之との故事とは?

それでは、故事を紐解きながら蟻通明神へと参りましょう。

 

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新家北向薬師如来堂(泉南市) 平安時代の薬師如来坐像を祀るお堂

新家北向薬師如来堂(泉南市) 平安時代の薬師如来坐像を祀るお堂

新家北向薬師如来堂(しんけきたむきやくしにょらいどう)は、大阪府泉南市新家にあるお堂で、種河神社と隣接しています。

薬師堂の中には平安時代中期から後期の作とされている薬師如来が祀られています。

種河神社へお参りした後に訪れました。

 

それでは、新家北向薬師如来堂へと参りましょう。

 

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種河神社(泉南市) 無病息災を祈願!夏の茅の輪くぐりと祇園祭り

種河神社(泉南市) 無病息災を祈願!夏の茅の輪くぐりと祇園祭り

種河神社(たねかわじんじゃ)は、大阪府泉南市新家に鎮座しています。

御祭神は素盞嗚大神(すさのおおおかみ)、龍王(おかみのかみ)、丹生大神(にうおおかみ)。

神社入り口にありました縁起によりますと、年代の記載はありませんでしたが、かつて住民の崇敬が篤い祇園天王(素盞嗚大神)を祀る殿舎があったようです。

その殿舎が天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の根来征伐の兵火の為焼失してしまい、山下・樫木の森(宮村)に假社殿を建立。

祇園天王・樫木権現(龍王)・千森の明神(丹生大神)を合祀し、元和九年(1624年)に社殿を竣工。

京都の御室仁和寺より種河明神の神号が授けられ、明治時代に種河神社と改名されました。

神社近くにある笠山には、役行者が「孔雀の神呪」という呪法を行い、加賀白山権現を勧請したという「白山神社」が鎮座しています。

それでは、種河神社へと参りましょう。

 

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岡中鎮守社(泉南市) 一度は見てみたい!天然記念物に指定された樹齢800年以上の大クス

岡中鎮守社(泉南市) 一度は見てみたい!天然記念物に指定された樹齢800年以上の大クス

岡中鎮守社(おかなかちんじゅしゃ)は、大阪府泉南市信達岡中に鎮座しています。

御祭神は天照大御神。

昔この地は、土壁に囲まれ、樟・槇・松・銀杏・榎・椋の木などの大木に覆われ、日中でも薄暗く「天照太神の宮」と呼ばれた社がありました。

明治の終わり頃には信達神社に合祀され、その後、鎮守社の大木の殆どが伐採されましたが、幸い樟と槇の木が保存され、現在も残っています。

樟は樹齢800年以上と伝わり、神社境内を覆ってしまう程の大きさにビックリ!!

それでは、岡中鎮守社へと参りましょう。

 

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