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桑津天神社(大阪市東住吉区)|少彦名命を祀る静かな神社と髪長媛の物語

大阪市東住吉区・桑津の町に鎮座する桑津天神社(くわづてんじんじゃ)。

医薬の祖神・少彦名命を祀るこの神社には、髪長媛の病気平癒を願った祈りの伝承が今も息づいています。

境内には、地域の人々が大切に守ってきた社殿やご神木があり、季節の祭りにはだんじりが曳かれるなど、暮らしと祈りがやさしく重なり合う空間が広がっています。

京善寺からほど近いこの神社で、静かな祈りと物語にふれるひととき──。

それでは、桑津天神社へ参りましょう。

 

 

歴史と由緒

 

桑津天神社の創建は、古代に遡ります。

仁徳天皇の時代、病に伏した妃・髪長媛のために、医薬の祖神・少彦名命をこの地に勧請し、平癒を祈願したことが始まりと伝えられています。

その後、地域の守り神として信仰が深まり、明治時代には周辺の神社を合祀し、現在の桑津天神社として整えられました。

主祭神の少彦名命に加え、菅原道真、須佐之男命、奇稲田比売命、野見宿禰、天児屋根命、布刀玉命、天宇受売命、猿田毘古神、経津主命、健甕槌命の計11柱の神々が祀られています。

社殿は、昭和初期に再建されたものですが、境内にはご神木や古い石碑が残り、地域の人々の祈りが静かに積み重ねられてきた時間を感じさせてくれます。

髪長媛の祈りから始まったこの神社には、病気平癒や健康祈願のご利益とともに、やさしい物語が今も息づいています。

 

 

ご利益と祈り

 

桑津天神社の主祭神・少彦名命(すくなひこなのみこと)は、医薬の祖神として知られ、病気平癒や健康祈願にご利益があるとされています。

そのご神徳は、髪長媛の病気平癒を願って祀られたという伝承にも表れており、今も静かに人々の祈りを受けとめています。

また、合祀されている菅原道真公には学業成就や合格祈願、須佐之男命と奇稲田比売命には厄除けや縁結びのご利益があるとされ、境内にはそれぞれの神々に手を合わせることができる祈りの場が整えられています。

地域に根ざした神社として、日々の健康や家族の安寧を願う方々がそっと訪れ、静かな時間を過ごされています。

華やかさよりも、心に寄り添う祈りの場──それが桑津天神社の魅力かもしれません。

 

 

髪長媛の物語

 

桑津天神社の由緒には、古代の妃・髪長媛(かみながひめ)の祈りが静かに息づいています。

髪長媛は、日向の国(現在の宮崎県都城市)早水池のほとりに生まれたと伝えられる女性で、黒髪が背丈以上に長く、機織りの名手としても知られていました。

その美しさと才を讃えられ、応神天皇に召されて桑津の地に住まい、後に仁徳天皇の妃となったと『日本書紀』に記されています。

髪長媛と仁徳天皇の間には、大草香皇子と幡梭皇女(はたびのひめこ)が生まれましたが、皇子は政争に巻き込まれて命を落とし、髪長媛と娘のその後は不明とされています。

桑津天神社では、髪長媛が病に伏した際、仁徳天皇が医薬の祖神・少彦名命に祈願し、快癒したことをきっかけに少彦名命を勧請したと伝えられています。

この祈りが、桑津天神社の創建の由来となり、今も境内の八幡宮に髪長媛が奉祀されています。

髪長媛の物語は、祈りと癒し、そして女性の静かな力を伝えるもの。

その名は桑津だけでなく、各地の伝承にも残されており、古代の女性たちの姿をそっと映し出しています。

 

 

境内の見どころ

 

桑津天神社の境内は、緑豊かで静けさの中に祈りが息づく、やさしい空間です。

桑津天神社の入り口

 

参道を進むと、地域の人々が大切に守ってきた祈りの場が広がります。

 

桑津天神社の手水舎

桑津天神社の手水舎と御神木

 

正面に見える拝殿は、昭和初期に再建されたもので、素朴ながらも凛とした佇まいが印象的。

 

桑津天神社の拝殿

 

境内には、主祭神・少彦名命を祀る本殿のほかに、八幡宮・稲荷社が並び、それぞれに異なる神々が祀られています。

 

桑津天神社の稲荷社

桑津天神社の稲荷社

 

八幡宮には髪長媛が奉祀されていると伝えられ、静かに手を合わせることで、古代の祈りにふれるような感覚が残ります。

 

桑津天神社の八幡宮

髪長媛が祀られている八幡宮

 

遥拝所──遠く伊勢の神々へ、静かに祈りを届ける場所

 

桑津天神社遥拝所

伊勢神宮遥拝所

 

 

林神社の石碑|かつての祈りの痕跡

 

境内の一角に、「林神社」と刻まれた石碑が静かに佇んでいます。

これは、明治時代の神社合祀政策により、桑津周辺の小社が統合された際、牛頭天王を祀る林神社が桑津天神社に合祀されたことを示す記念碑です。

牛頭天王は、疫病除けの神として古くから信仰されてきた存在。

林神社の祈りは、今も桑津天神社の中で受け継がれており、須佐之男命や歳徳神を祀る八王子社などにその面影が残されています。

この石碑は、華やかではありませんが、かつての祈りが確かにあったことを静かに語りかけてくるような存在。

境内を歩く中でふと目に留まったとき、時代を超えて受け継がれてきた祈りの重なりに、そっと心を寄せたくなります。

 

 

 

桑津公園の八王子社|静かな祈りのかたち

 

桑津天神社の鳥居をくぐると、正面に広がる桑津公園。

その一角に、八王子社(はちおうじしゃ)が鎮座しています。

この小さなお社には、須佐之男命(すさのおのみこと)と歳徳神(としとくじん)が祀られているとされ、疫病除けや福徳招来の祈りが静かに息づいています。

八王子社という名は、牛頭天王とその妃・頗梨采女(はりさいじょ)の子どもたち「八王子」に由来するとも言われ、陰陽道や古代の信仰が重なる祈りの場として、静かに地域に根ざしています。

公園の中にありながら、神社の祈りと暮らしの気配がやさしく交差する場所──。

桑津天神社を訪れた際には、ぜひこの八王子社にもそっと手を合わせてみてください。

 

桑津天神社の八王子社

 

 

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御朱印

 

御朱印帳を持っていなかったので、別紙に書いて頂きました。

桑津天神社の御朱印

 

紙のケースがとても美しく、御朱印と一緒にパシャリ!

御朱印を入れて下さった紙のケースにはザクロの絵が描かれています。

このザクロは、かつて桑津の馬場で競馬が行われていた頃、勝者に贈られた縁起物として用いられていた果実だとか。

その風習は、勝利・祝福・実りの象徴として、地域の祈りとともに受け継がれてきました。

ザクロは、多くの種子を持つことから「子孫繁栄」「豊穣」「生命力」の象徴ともされ、神社の祈りの中に静かに息づいています。

この紙のケースに込められた祈りと歴史に触れることで、桑津天神社の御朱印は心に残る祈りのかたちとなりました。

ちなみに、現在は桑津公園として整備されている場所が、かつて馬場(ばば)として競馬が行われていた場所であったようです。

 

 

アクセスと参拝情報

 

【所在地】大阪府大阪市東住吉区桑津3-4-17

【交通アクセス】近鉄南大阪線 河堀口駅より南東へ徒歩8分、JR阪和線 美章園駅より東へ徒歩9分

 

 

 

静かな祈りにふれて

 

桑津天神社は、華やかさよりも、静けさの中にある祈りのかたちを大切に守り続けてきた神社です。

髪長媛の物語、少彦名命への祈り、林神社の記憶──そのすべてが、境内の空気にそっと溶け込んでいます。

境内を歩きながら、ふと立ち止まって手を合わせると、時代を超えて受け継がれてきた祈りの気配が、やさしく心に届いてくるようです。

桑津の町に佇むこの神社で、ほんのひととき、自分の心と静かに向き合う時間を過ごしてみませんか。

 

 

次の祈りへ

 

このブログでは、関西の神社仏閣をめぐりながら、静かな祈りと物語にふれる旅を綴っています。

桑津天神社のすぐ近くには、京善寺があります。
▶︎ 京善寺|京善寺(大阪・桑津)|不動明王に祈る静かな力と文化財の魅力

 

 

🌸シリーズ一覧|大阪の神社仏閣をめぐる静かな旅へ

 

▶︎京善寺(大阪・桑津)|不動明王に祈る静かな力と文化財の魅力

 

▶︎法案寺(大阪・日本橋)|聖天さんに祈る福・寿・愛と御朱印

 

▶︎自安寺(大阪・道頓堀)|「千日前の妙見さん」として親しまれる祈りの隠れ寺

 

▶︎妙法寺(大阪・今里)|契沖と母の祈りに触れる静かな寺院の記録

 

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大阪の神社仏閣をめぐりながら、静かな祈りと物語に触れる旅を綴っています。

それぞれの場所で出会った空気感や、心に残る祈りのかたちをご紹介しています。

 

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▶︎大阪神社まとめ

▶︎大阪お寺まとめ

 

 

大阪市生野区巽南に鎮座する巽神社(たつみじんじゃ)は、地域の人々に親しまれる歴史ある神社です。

巽神社の創建は1907年(明治40年)。

主祭神は応神天皇。

もともとこの地にあった八幡神社に、村内の5つの神社(横野神社・大字伊加賀字伊加賀の天神杜・天照皇大神社・熊野神社・大字四条字山小路の天神杜)を合祀し、村名「巽村」にちなんで「巽神社」と改称されました。

大阪メトロ千日前線「南巽駅」から徒歩約5分というアクセスがいいのがうれしい。

それでは、巽神社へと参りましょう。

 

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神須牟地神社(かみすむぢじんじゃ)は、大阪市住吉区に鎮座しています。

神須牟地・・って読み方が難しいですよね。

初めてこちらの神社さんのお名前を見た時、読めませんでした(汗))

神須牟地神社はとても歴史が古く、由緒書には「延喜式内の古社であって三の宮と称され遠く二千年昔の御創建である」とあります。

住吉大社が摂津国一の宮と呼ばれたのに対し、神須牟地神社が三の宮とされました。

今回、「大阪メトロで行く六十六花御朱印巡り」で初めて参拝に訪れました。

それでは、神須牟地神社へと参りましょう。

 

境内

 

JR長居駅から商店街を歩き、10分程で到着です。

こちらは東側の鳥居。

 

 

御由緒

古来より医薬の祖神・酒造の祖神として信仰が厚く、文武両道の守護神としても御神徳があったようです。

 

 

献馬

 

 

美しい花に彩られた手水鉢

 

Osaka Metro沿線の対象お寺・神社で、「専用御朱印帳」への「特別花御朱印」の授与と、手水舎をリンクフラワーで彩る「奉納花手水」を楽しむことができる御朱印巡りイベント「Osaka Metroで行く六十六花御朱印巡り」が、期間限定で開催されています。

 

奉納花手水

 

 

拝殿

主祭神:神産霊大神(かみむすびのおおかみ)・手力雄命(たじからおのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)。

相殿:天日鷲命(あめのひわしのみこと)・大己貴神(おおなむちのみこと)・宇賀魂命(うがのみたまのみこと)。

追祀:少名彦命(すくなひこのみこと)・素戔嗚命(すさのおのみこと)・住吉大神。

御神徳としては、医療・酒造・文武両道の神様とされていますが、主に健康長寿や病気平癒をはじめ、開運、厄除、学業成就や合格祈願、必勝祈願など、また男女の縁だけでなく様々な縁を結ぶ神様としてご利益があるようです。

九柱の神様がいらっしゃるとは、、、心強いですね。

何か困った事があった時にお詣りすれば、神様がなんとかしてくれそうな気がします。笑

 

 

境内末社・農神社

御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。
農耕の神として農民の尊敬厚く、作物を守り、農民の生活を守る神として崇敬されていました。

もとの鎮座地は、今の長居墓地東北三〇〇米の三つの池の中央に土塀をめぐらし、一本の松の木の下にお社があり鎮座していました。
明治四十年十二月に神須牟地神社の境内に遷座されました。

 

 

種銭

元々、多米神社で授与されていた種銭であるそうです。
現在は神須牟地神社で授与されています。

 

多米神社は多米連の建てた神社といわれています。

御祭神は、宇賀魂命(うがのみたまのみこと)・神稚魂神(かむわかたまのみこと)・保食神(うけもちのかみ)。

延喜式内社で、別名を「種貸神社」「種貸社」「種貸の森」「苗見神社」「鎮座の社」「苗見の森」「明神さま」と称され、多米連の祖神として祀られました。

子孫繁栄、子宝のご神徳があり、浪速名所の一つとして厚く崇敬されていましたが、明治四十年十二月に多米神社は神須牟地神社に合併し、御祭神は合祀されました。

石碑と境内地は今も現存しています。

 

 

御朱印

 

特別花御朱印

 

 

アクセス

 

【所在地】大阪市住吉区長居西2丁目1-4

【駐車場】なし

【アクセス】大阪メトロ御堂筋線「長居駅」2番出口徒歩10分。又は、JR阪和線「長居駅」徒歩10分。

神須牟地神社公式サイト

 

 

 

大阪府で頂いた御朱印まとめ~神社編~

 

大阪府で頂いた御朱印まとめ~お寺編~

 

池田春日神社(和泉市三林町) 境内に古墳が現存する和泉国池田郷の鎮守神【御朱印】

池田春日神社(いけだかすがじんじゃ)は、大阪府和泉市三林町に鎮座しています。

御由緒について文献などは残っていないようですが、奈良時代の神護景雲二年(768)、和泉国の成立期まで遡り、常陸国より武甕槌命・経津主命が春日大社(奈良県)に分霊される際に、この地に荘園を開墾していた藤原氏の一族が社を造営し、この二柱の神様を祀ったことから始まるとされています。

その後、河内の天児屋根命、比賣大神を祀り春日大明神とし、和泉国池田郷の鎮守として崇敬されるに至ります。

長い参道では、たくさんの狛犬さんが迎えて下さいました。

それでは、池田春日神社へと参りましょう。

 

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