弘川寺(大阪) 桜と紅葉が美しい西行法師終焉の地【御朱印】

弘川寺(ひろかわでら)は、大阪府南河内郡河南町弘川にある仏教寺院です。

山号は竜池山。ご本尊は薬師如来。

天智天皇4年(665年)、役行者によって創建されたと伝えられています。

又、西行法師終焉の地としても有名で、本堂横から少し歩きますと西行墳があります。

紅葉の美しい季節に訪れました。

それでは、弘川寺へと参りましょう。

 

弘川寺駐車場

 

駐車場から少し歩きますと、弘川寺に到着です。

駐車場は2ケ所あるようで、こちらの写真右手にもあります。

 

境内

 

階段を少し登りますと、正面に本堂が見えます。

すっごく静かでいい感じのお寺です。
一目見て、大好きになってしまいました。(笑)

 

鐘楼

 

三鈷の松

 

三鈷の松には、たくさんの松ぼっくりが。

 

鎮守堂

寺の守護神八所権現を祀っています。

 

本堂右側から山を少し歩いて、西行堂、西行墳へと向かいます。

 

階段途中に大きな石

この石を西行法師も見ていたのかなぁ・・なんて思ったりしながら歩きます(笑))

 

西行堂

延享元年似雲法師の建立。西行坐像が祀られています。

 

西行堂から西行墳へと歩きます。

 

この木が面白くってね。

2本の木が根っこで繋がってた!!

 

西行墳に到着です。

歌聖西行法師は晩年の文治5年(1189年)、弘川寺の座主空寂上人の法徳を慕ってここを訪れ、ここに住み、翌年2月16日(旧暦)、73歳で入寂されました。

 

歌碑

西行法師の歌
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ

西行法師が亡くなったのは旧暦の2月16日ということですが、今の暦だと3月30日のようです。この歌の通り桜の花の咲くころに亡くなったんですね。

 

似雲墳

西行法師が入寂して500年以上経った頃の享保17年2月16日、歌僧似雲法師が西行法師の古墳を発見されました。

2月16日って、西行法師の命日じゃない!?

命日に西行法師の古墳を発見したなんてすごい!!

その後、似雲法師が西行堂を建立し、西行墳の周辺には千本桜を植え、境内に「花の庵」を建てて住み、81歳の生涯を西行法師の顕彰に尽くされました。

 

西行墳から山を下る途中に見える本堂と護摩堂

 

弘川寺本坊

 

本坊庭園にある、かいどう(天然記念物)

樹齢約350年で日本一の老樹であるそうです。

4月中旬の花盛りは壮観であるようで、再び訪れてみたいです。

 

庭園の風景

 

 

庭園内に西行記念館はありました。

西行、似雲両法師に関する資料が展示されています。
開館期間は、春季4月1日~5月10日、秋季10月10日~11月20日。

 

 

桜の季節

 

桜の咲く頃に再訪しました。

 

弘川寺の前の山がピンク色に染まり、とても美しいです。

 

 

 

護摩堂の横にある「隅屋桜(すやざくら)」が、かわいい色で咲いていました。

 

 

鎮守堂の前に咲く「笹部桜」

 

 

桜が咲き誇る「桜山遊歩道」へとお花見散歩。

 

 

 

桜山にある似雲法師の住まわれた「花の庵址」

 

草庵址の前に広がる景色

「須磨明石 窓より見えて住む庵の うしろにつづく葛城の峯」 似雲

とても見晴らしが良く、遠く須磨明石の方まで見えそうです。

 

 

似雲法師の住まわれた「花の庵址」より少し登って行くと、「西行庵址」があります。

「麓まで唐紅(かつくれない)に見ゆるかな さかりしくるる葛城の峰」 西行

「訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて 煙を立つる弘川の里」 西行

 

 

桜山は名前の通り、桜の森に迷い込んだかのような、桜だらけの山でした(笑))

桜が大好きだった西行法師。

桜の季節にたくさんの方が西行さんに会いに来てくれて、喜んでいるような気がしました。

 

 

動画

 

(2021年3月撮影)

 
 

(2021年11月撮影)

 

 

御朱印

 

河内飛鳥古寺霊場第十三番 弘川寺御朱印

 

 

アクセス

 

【所在地】大阪府南河内郡河南町弘川43
【御朱印】あり。
【札所】西国薬師四十九霊場第13番、河内飛鳥古寺霊場第13番、役行者霊蹟札所。
【駐車場】参拝者無料駐車場あり。
【交通アクセス】近鉄長野線「富田林」駅から金剛バス河内行終点下車徒歩約5分。

 

 

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