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野中寺(やちゅうじ)は、大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の仏教寺院です。
山号は青龍山。
今から1400年程前に、蘇我馬子の助力を得て、聖徳太子が建立されました。
叡福寺の「上の太子」、大聖勝軍寺の「下の太子」に対し、野中寺は「中の太子」といわれ、聖徳太子ゆかりの「河内三太子」の一つです。
御本尊は薬師如来。
金銅弥勒菩薩半跏像の御開帳日に行って参りました。
では、飛鳥時代に建立された野中寺へご案内しましょう。
山門前の参拝者専用駐車場に車をとめて、いざっ参りましょう♪
境内
山門
山門をくぐると、シジュウカラが飛んできました♪
迎えにきてくれたみたいでうれしいですね(笑))
正面に見えるは本堂
南北朝の争乱のおりに兵火にかかり、伽藍はことごとく焼失してしまいましたが、境内には中門跡・金堂跡・塔跡・講堂跡・回廊跡など法隆寺式伽藍配置を示す礎石が残っており、「野中寺旧伽藍跡」として国の史跡に指定されています。
本堂へと続く道を挟んで、左手に野中寺塔跡があります。
塔跡の中心礎石の柱穴は、三方に添柱座を彫り込み、さらに柱穴側面の舎利を納める小孔があり、珍しいものです。
昭和61年に羽曳野市教育委員会により、塔跡の発掘調査が行われた際、西暦650年の瓦が出土しています。
金堂跡は塔跡の東側にありました。
現在残っている土壇や礎石などから間口4間、奥行き3間の南北に長い建物で、おそらく西面していたと思われます。
東面している塔跡と金堂跡とは向き合っていたことになります。
ヒチンジョ池西古墳石棺(大阪府指定有形文化財)
人を葬るための部屋で、二上山で採れる凝灰岩を精巧に加工して、10個の石材を組み合わせて作られています。
このような棺を納めるための石の部屋を、一般には横口式石槨あるいは石棺式石室といい、河内や大和の飛鳥に分布する7世紀の古墳にしばしば見られました。
ヒチンジョ池西古墳は、ここから南西の約1キロ離れた場所にあり、1946(昭和21)年に発見され、野中寺境内に移築されました。
鐘楼
本堂
小さな格子窓から中を見る事ができます。御本尊は薬師如来さま。暗くて中がよく見えませんでしたが、薬師如来さまがいらっしゃるのかな。
地蔵堂
地蔵堂におられます木造地蔵菩薩立像は重要文化財です。
一木立像で、平安中期以降の作とされています。
江戸時代初め、明正天皇がこの地蔵菩薩立像に皇子の子育てを祈願され、その願いが叶えられたことから、安産子育て地蔵尊として、信仰集めていました。
こちらの地蔵菩薩さまも、弥勒菩薩さまと一緒の御開帳日にお顔を拝することができます。
大師堂
野中寺の霊園には、歌舞伎・浄瑠璃の演目「お染久松」の主人公であるお染・久松の墓があります。
中門
では、こちらの中門をくぐり、御開帳されている金銅弥勒菩薩半跏像(重要文化財)に会いに行きましょう。
金銅弥勒菩薩半跏像の御開帳
寺務所受付で拝観料を納め、中へ入ります。
初めて会う弥勒菩薩半跏像。
ドキドキ、ワクワクしてきました(笑))
弥勒菩薩さまは方丈という建物におられました。
像高18.5cm。
頭部が少し大きくて、ウエストがきゅっと引き締まったお姿。
なんて素敵なんでしょう!
右足を組み、右手を頬にあてていらっしゃる思惟のお姿は半跏像の通例のポーズですが、なんとも言えないかわいさと色っぽさが混じっている感じで、とてもキュートで素敵なお姿でした。
そして、とてもうれしいのが、もう自分の息が弥勒菩薩さまにかかってしまうのではないかと思う程の近距離でお姿を拝することができるということ!
これは、本当に有難かったです。
弥勒菩薩半跏像は西暦666年(天智五年)の作と考えられ、飛鳥時代後期の特色を備えています。
金銅弥勒菩薩半跏像と地蔵菩薩像は、毎月18日(午前9時半から午後4時)に開帳され、拝観することができます。
動画
(2021年撮影)
(2022年4月撮影)
御朱印
河内飛鳥古寺霊場第六番 野中寺 御朱印
アクセス
【所在地】大阪府羽曳野市野々上5丁目9-24
【御朱印】あり
【札所】西国薬師四十九霊場14番・聖徳太子霊跡5番・河内六観音4番・河内飛鳥古寺霊場6番
【駐車場】参拝者無料駐車場あり
【アクセス】近鉄南大阪線 藤井寺駅 徒歩15分・近鉄南大阪線 藤井寺駅から近鉄バスで5分「野々上」下車徒歩すぐ
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