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- 奈良のお寺 - 明日香村
橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院です。
正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺(ぶっとうざんじょうぐうおういんぼだいじ)」と称します。
橘寺は聖徳太子誕生の地と伝えられ、太子の父である用明天皇の別宮があったされています。
では、聖徳太子建立七大寺の一つとされている橘寺へとご案内しましょう。
境内
西門
西門手前で足元を見ますと!!
瓦が埋められているようです。
何か意味があるのかな?
手水舎
境内には聖徳太子の愛馬「黒駒」の像。
黒駒は空を駆け、達磨大師の化身といわれています。
慈憩堂
お寺の中に自販機があるとは!!
訪れた日はとても暑い日でして・・。
喉の渇きを潤して頂きました。
本堂
御本尊は聖徳太子勝鬘経講讃像(重文・室町時代)
聖徳太子がこの地で推古天皇に勝鬘経(しょうまんきょう)を三日間に渡りご講讃された時のお姿です。
本堂には、田道間守像(藤原時代)がおられました。
田道間守(たじまもり)って?
田道間守について、簡単にご紹介したいと思います。
田道間守は、十一代垂仁天皇の時、勅命を受けて常世の国(中国雲南省か)へ不老不死の薬を求めに行った方で、十年の長い間苦労してようやく秘薬を探し求め持ち帰ったのですが、その時には天皇はもう既にお亡くなりになっていたとか!
その時に田道間守が持ち帰ったものを「トキジクノカグノコノミ」といい、この地に実を撒くとやがて芽を出したものが橘「ミカンの原種」で、それからこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられています。
また、彼は黒砂糖も持ち帰っていて橘と共に薬として用いたようです。
後に蜜柑・薬・菓子の祖伸として崇められるようになりました。
ちなみにお菓子屋に橘屋の屋号が多く用いられるのは、この縁によるものであるようですよ。
不老不死の薬って橘だったのかな?
経堂
阿弥陀如来さまがおられました。
観音堂
御本尊は、六臂如意輪観世音菩薩像(重文・藤原時代)
六臂如意輪観音とは、6本手がありそのうちの2本に尊名の由来である如意宝珠と法輪とを持っておられるお姿です。
観心寺(大阪・河内長野市)のご本尊は六臂如意輪観音像の代表作で有名ですが、橘寺にも六臂如意輪観音像がいらっしゃったとは!!
こちらの如意輪観音さまのお姿がとても素敵で、しばらく見とれていました。
いや~♪ちょっと・・いえいえ・・かなりうれしい出会いでありました。
橘寺へいらした時には、是非、お会いになって欲しい観音さまです。
二面石
飛鳥時代の石造物の一つで本堂の左横にあります。
見落としてしまいそうな場所にあるので要注意。
二面石は、人の心の善悪二相を表したものといわれています。
阿字池
三光石
聖徳太子がこの地で推古天皇に勝鬘経(しょうまんきょう)を三日間に渡りご講讃された時に、太子の冠から日月星の光が輝いたと伝えられています。
また、勝鬘経ご講讃の際には、大きな蓮の花が庭に1mも降り積もり、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ったと伝わっています。
このような不思議な出来事が起こったので天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるように太子に命ぜられました。
そこで聖徳太子が住まわれていた御殿を改造して造られたのが橘寺のはじまりと伝えられています。
五重塔跡
本坊の前に土壇があります。
五重塔跡の中心には大きい珍しい形をした心礎があり、直径約90㎝、深さ10㎝の柱の入る孔、その円孔の三方に半円形の孔(そえ柱孔)が掘ってあり、現存すれば約40mの五重塔が建っていたことになります。
放生池
往生院
阿弥陀三尊を本尊とする往生院は、念仏写経研修道場として平成九年に再建され、多目的道場として活用されています。
道場内の格天井には華の天井画が奉納されていて、とても美しかったです。
往生院の前に、万葉集の歌碑がありました。
橘の寺の長屋に吾率宿し童女旅髪は髪あげつらむか
(万葉集 巻十六 三八二二)
【意味】
「かつて橘寺の長屋でわたしが共寝をした少女は、いまはもう大人になっていることであろう」
人をなつかしく思い出す歌で、万葉集において橘寺の歌はこの一首だけです。
西門を出て、橘寺の裏参道を歩きます。
長閑な景色が広がります。
裏参道側からの入口
動画
【再訪】秋の橘寺の風景を撮影してきました。
(2022年11月撮影)
御朱印
アクセス
【所在地】奈良県高市郡明日香村大字橘
【御朱印】あり。
【駐車場】あり。
【札所】新西国三十三箇所観音霊場第10番、聖徳太子霊跡第8番。
【拝観時間】9:00~17:00
【拝観料】350円
【アクセス】近鉄飛鳥駅から明日香周遊バス「川原」または「岡橋本」下車、徒歩約3分。または、飛鳥駅からレンタサイクルで約15分。
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