投稿者:さくら
徳融寺(奈良市) 中将姫の伝説が息づく聖地

徳融寺(とくゆうじ)は、奈良県奈良市にある融通念仏宗のお寺です。

御本尊は阿弥陀如来立像。

かつては高林院と号する元興寺の塔頭でした。

天正18年(1590年)に現在地に移転し、寛文7年(1667年)に休岸上人によって堂宇が整備されました。

徳融寺は、右大臣藤原豊成公の旧宅跡に建築され、豊成の娘・中将姫はこの地で生まれ育ったと伝わります。

境内の墓地には豊成公と中将姫を祀った二基の石塔があります。

それでは、徳融寺へと参りましょう。

 

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御霊神社(奈良市) 狛犬の足止め祈願と縁結びのご利益【御朱印】

御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、奈良県奈良市薬師堂町に鎮座しています。

南都御霊神社・木比御霊とも呼ばれています。

御祭神は、井上皇后・他戸親王・事代主命・早良親王・藤原広嗣・藤原大夫人・伊予親王・ 橘逸勢・文屋宮田麿 。

御霊神社とは、非業の死をとげた人の霊の祟りを恐れて、その霊を鎮めるために祀った神社のこと。

奈良時代、平安時代の人々は無実の罪を着せられて非業の死を遂げた人の怨みの心が怨霊となって災いを起こすと恐れました。

しかし、その怨霊を丁重にお祀りすれば御霊となり守護してくれる神になるという風に考えるようになり、これが御霊信仰の始まりとなりました。

御霊神社は、延暦19年(800年)桓武天皇の勅命により創建されました。

それでは、御霊神社へと参りましょう。

 

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惣社水分神社 (宇太水分神社上社) 宇陀の水と共に天水分神の歴史を紡ぐ

惣社水分神社(そうしゃみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野上芳野に鎮座しています。

宇太水分神社上社(上宮)とも呼ばれ、正式名称は芳野坐式内惣社宇陀水分神社(ほうのにますしきないそうしゃうだみくまりじんじゃ)。

宇陀市には他に2つの水分神社があり、榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、菟田野古市場の宇太水分神社を「中社」と呼んでいます。

共に式内社「宇太水分神社」の論社となっています。

御祭神は、天水分神、国水分神、速秋津比古命、天児屋根命、誉田別命。

神社の創建については明確にはわかっていませんが、『延喜式神名帳』に記載されていることから、少なくとも平安時代までには重要な神社としての地位を確立していたことがわかります。

宇陀地方の水の守り神として、一郷(現在の榛原町・大宇陀町・菟田野町)の惣社として崇敬されています。

それでは、惣社水分神社へと参りましょう。

 

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宇太水分神社 下社(宇陀市) 天水分神の加護に包まれた古の祈りが息づく場所

宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)下社は、奈良県宇陀市榛原下井足に鎮座しています。

宇陀市には他に2つの水分神社があり、菟田野上芳野の惣社水分神社を「上社」、菟田野古市場の宇太水分神社を「中社」と呼んでいます。

共に式内社「宇太水分神社」の論社となっています。

御祭神は、天水分神、国水分神、天児屋根命、品陀別命。

神社の創祀は正確な年代が不明ですが、崇神天皇15年(紀元前83年)の勅祭とされる記録が残っており、その起源は非常に古いことがわかります。

また、太古の国史「三代実録」(奈良時代~平安時代に編集された六国史本)によれば、「貞観元年(859)9月8日宇太水分神社へ風雨祈願に勅使を遣わし幣(お金や織物等)を奉った」と記録が残っています。

水分神は「ミクマリ」と読まれ、五穀豊穣と生命を宿す御神徳の高い農耕神として、人々の崇拝の対象とされてきました。

それでは宇太水分神社下社へと参りましょう。

 

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