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甘樫坐神社(明日香村) 古代の裁判「盟神探湯」が行われた甘樫丘

甘樫坐神社(明日香村) 古代の裁判「盟神探湯」が行われた甘樫丘

甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村の甘樫丘の麓に鎮座しています。

式内大社。

推古天皇を主祭神とし、相殿に八幡宮・春日大明神・天照皇大神・八咫烏神・住吉大明神・熊野権現を祀っています。

室町時代の文書「和州五郡神社神名帳大略注解」(通称『五郡神社記』)には、八十禍津日神・大禍津日神・神直日神・大直日神とあり、これが元々の祭神であったようです。

境内入り口には鳥居がなく、一見、神社だと気づかず、通り過ぎてしまうかも知れません。

それでは、甘樫坐神社へと参りましょう。

 

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向原寺(明日香村) 推古天皇が即位された豊浦宮・豊浦寺の遺構が残る寺【御朱印】 

向原寺(明日香村) 推古天皇が即位された豊浦宮・豊浦寺の遺構が残る寺【御朱印】 

向原寺(こうげんじ)は、奈良県高市郡明日香村にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

境内地は、百済から日本へ献上された仏像を蘇我稲目が祀った「向原の家(むくはらのいへ)」の故地とされ、日本で最初に仏像が祀られた場所と言われています。

向原寺がある一帯は、推古天皇が即位された豊浦宮があり、推古天皇が豊浦宮から小墾田宮に移った後は、豊浦寺が建立されました。

向原寺は、豊浦宮・豊浦寺の跡地に建てられています。

境内には豊浦寺の遺構が残っており、見学させて頂くことができます。

それでは、飛鳥時代の香りが漂う向原寺へと参りましょう。

 

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久度神社(王子町) 奈良から平安京に遷座されたかまどの神様

久度神社(王子町) 奈良から平安京に遷座されたかまどの神様

久度神社(くどじんじゃ)は、奈良県北葛城郡王寺町に鎮座しています。

続日本紀に延暦二年(七八三年)、官社に列せられたとあり、延喜式神名帳(九二七年)にも記されている式内社です。

御祭神は、久度大神・八幡大神・住吉大神・春日大神。

久度神の「久度」は「窖(くど)」の意味で、御厨神の総称であり「竈(かまど)の神」なのだそうです。

秋祭りの準備が整った境内は、金木犀の香りで満ちていました。

それでは、久度神社へと参りましょう。

 

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吉田寺(斑鳩) 「ぽっくり寺」と奈良県最大の丈六阿弥陀如来さま【御朱印】

吉田寺(斑鳩) 「ぽっくり寺」と奈良県最大の丈六阿弥陀如来さま【御朱印】

吉田寺(きちでんじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町小吉田にある浄土宗のお寺です。

山号は清水山。

ご本尊は丈六阿弥陀如来(重要文化財)。

御本尊である丈六阿弥陀如来の前で御祈祷を受けることによって、長患いをせず、安らかに往生することができると伝えられています。

それゆえ、「ぽっくり寺」「ぽっくり往生の寺」として、たくさんの方が訪れています。

法隆寺龍田神社の近くにあり、ずっと気になっていた吉田寺へやっと伺うことができました。

それでは、吉田寺へと参りましょう。

 

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玉置神社(奈良県十津川村) 呼ばれた人しか行けない神社で神秘を体感!【御朱印】

玉置神社(奈良県十津川村) 呼ばれた人しか行けない神社で神秘を体感!【御朱印】

玉置神社(たまきじんじゃ)は、奈良県吉野郡十津川村に鎮座しています。

主祭神は国之常立神、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大御神、神日本磐余彦命。

社伝によりますと神社の草創は、神武天皇御東征の折、八咫烏の案内にて熊野より大和の地を目指す途上、この地にて十種神宝を奉じ、身の安全を御祈願されたことに始まるとされ、古誌には第十代崇神天皇の御宇に天下安泰と悪魔退散を祈願して社殿が創建されたと記されています。

「呼ばれた人しか辿り着けない」と言われている玉置神社は、今や大人気のパワースポットとなっています。

訪れたのは7月下旬。

玉置神社は玉置山(標高は1076.4メートル)の山頂下の9合目に位置していますので、とても涼しかったです。

それでは、玉置神社へと参りましょう。

 

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都祁水分神社(奈良市都祁友田町) 白龍が舞い降りた飛鳥時代からの古社【御朱印】

都祁水分神社(奈良市都祁友田町) 白龍が舞い降りた飛鳥時代からの古社【御朱印】

都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁友田町に鎮座しています。

大和国水分四社(都祁・宇陀・吉野・葛城)の一つで、古来から水の神として崇拝されてきました。

御祭神は、速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)・天水分神(あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)。

創建年代は不詳ですが、社伝によると飛鳥時代の創建とされています。

当初は都祁山口神社(小山戸)の地に鎮座していたとされ、現在の鎮座地は聖武天皇が行幸の際に使用された堀越頓宮の伝承地であり、平安時代には都介頓宮となり、伊勢斎宮の皇女の宿場として使用されたようです。

境内は清々しく、ご神気を感じる素晴らしい神社でした。

それでは、都祁水分神社へと参りましょう。

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雄神神社(奈良市都祁白石町) 大神神社の奥の院と称される白蛇が住まう禁足地

雄神神社(奈良市都祁白石町) 大神神社の奥の院と称される白蛇が住まう禁足地

雄神神社(おがじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁白石町に鎮座しています。

御祭神は出雲健男命(いずもたけおのみこと)。

雄神神社は本殿がなく、こんもりとした2つの山の雄雅山(右)と雌雅山(左)からなる野野上岳(ののがみだけ)を御神体としています。

野野上岳の山頂には白蛇が住んでいると伝えら、現在も禁足地となっています。

また、奈良県桜井市に鎮座する大神神社の奥の院とも言われています。

それでは、雄神神社へと参りましょう。

 

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國津神社(奈良市都祁白石町) 古代の信仰を宿す白い石

國津神社(奈良市都祁白石町) 古代の信仰を宿す白い石

國津神社(くにつじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁白石町に鎮座しています。

御祭神は大国主命。

かつて、大和国北東部の古代国・闘鶏(つげ、現・奈良県奈良市旧都祁村)は、闘鶏氏が統治していて、闘鶏国造(つげのくにのみやつこ)が置かれていました。

闘鶏氏は神武天皇の皇子である神八井耳命(かむやいみみのみこと)の後裔だといわれています。

古代ツゲ国の中心地、つげ平野の東方・水湧庄の中央丘陵・字神子尻に大きな白い石があり、古代の信仰を集めていたと伝わります。

国つ神として崇敬せられ、社殿を建立、国津大明神と称せられました。

古代の信仰を集めていた白い石、そして、國津神社が鎮座する地名は白石。

國津神社のキーワードは白い石?

それでは、古代信仰の息吹を感じる國津神社へ参りましょう。

 

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龍雲寺(富田林市) お釈迦さまの生涯を実感できる河内西国霊場【御朱印】

龍雲寺(富田林市) お釈迦さまの生涯を実感できる河内西国霊場【御朱印】

龍雲寺(りゅううんじ)は、大阪府富田林市加太にある黄檗宗のお寺です。

山号は智福山。

龍雲寺は、かつて河内長野市石見川にある真言宗の古寺でしたが、享保九年(一七二四)狭山藩主北條氏朝の援助のもと、独園和尚が開山となり、黄檗宗に改宗、北條家と狭山藩士ならびに加太新田農民の菩提寺としてこの地に移されました。

山門から本堂に続く参道には、お釈迦さまの生涯を実感できるよう、ちょっとしたテーマパーク?的な感じになっている楽しいお寺さんでした。

それでは、お釈迦さまの生涯を楽しく学べる龍雲寺へと参りましょう。

 

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陶荒田神社(堺市) 大田田根子の祖先神を祀る古社【御朱印】

陶荒田神社(堺市) 大田田根子の祖先神を祀る古社【御朱印】

陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は、大阪府堺市中区上之に鎮座しています。

和泉国大鳥郡の式内社。

御祭神は高魂命(たかみむすびのみこと)、劔根命(つるぎねのみこと)、八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)。

第十代崇神天皇の7年に、素盞鳴命(すさのおのみこと)十世の孫、太田田根子命(おおたたねこのみこと)がこの陶邑(すえむら)に社を建てたと伝えられています。(陶荒田神社の表記に従い「太田田根子」と記載します。)

太田田根子命の子孫の荒田直が祖先神をお祀りし、その後、地名の陶(すえ)と人名の荒田(あらた)から「陶荒田神社」と呼ばれるようになりました。

須恵器(日本の陶器の祖)の発祥地に鎮座されていることから、別名、陶器大宮とも呼ばれています。

境内はとても清々しい空気が流れていました。

それでは、陶荒田神社へと参りましょう。

 

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