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教興寺(きょうこうじ)は、大阪府八尾市にある真言律宗のお寺です。
山号は獅子吼山(ししくさん)。
聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じて崇峻天皇元年(588年)に建立されました。
御本尊は弥勒菩薩。
中世には荒れ果てていましたが、鎌倉時代に奈良・西大寺の叡尊が復興しました。
永禄5年(1562年)には、三好長慶と畠山高政との戦である「教興寺の戦い(きょうこうじのたたかい)」の場所となりました。
それでは、教興寺へと参りましょう。
近鉄高安駅から教興寺へ
近鉄高安駅を降りて、東へテクテク♪
外環状線を渡って歩いていると、道標が建っていました。
「毘沙門天王・・」
「宝永五戌子・・・」と記されています。
この道標は、東高野街道と信貴山道(起点)が交わる四つ辻の道標で、八尾市内に残る最も古い道標であるそうです。
「和州信貴山四十・・・」と記されています。
下部は埋まっていますが、「和州信貴山道是四十二丁」と記されていたそうです。
信貴山へはここから四十二丁(5km弱)の道のり。
東高野街道を挟んで向かいの道標には「すぐ信貴山毘沙門」
昔は、たくさんの人が信貴山道を歩いて参詣されていたのですね。
道標を見ながら、趣のある街並みを歩きます。
いい感じですね~♪
駅から1km程歩いたでしょうか。
教興寺の山門が見えて来ました。
境内
山門
とても気になる碑を見つけたのでパチリ♪
「弘法大師・・・大辨才天尊」と記されています。
気になりますよねぇ(笑)
お寺の方にお話しを伺うことができましたので、詳細は後程♪
おおさか十三佛霊場六番札所の教興寺
教興寺は、物部氏との戦いで太子が陣を置いた場所とされ、戦いの後、秦河勝が建立したと伝えられています。
由緒碑
獅子吼山大慈三昧院教興寺は秦河勝の創建と伝えられ俗に藪寺ともいわれている。
真言律宗西大寺の末寺で境内南方の寺池は臨池式大伽藍の遺構といわれ、鎌倉時代西大寺叡尊によって復興され、文永・弘安の役には蒙古降伏の大祈祷が行われた。
また永禄五年(1562)河内国守護畠山高政と三好義興、松永久秀とのいわゆる教興寺合戦により全焼。
江戸時代浄巌和尚によって再興されたが明治十八年の台風で本堂が倒れ旧客殿を仮本堂としている。
湯川直光公勇戦の地
永禄5年(1562年)5月20日、河内高安郡教興寺村(現在の大阪府八尾市教興寺)付近であった三好長慶と畠山高政との教興寺の戦い。
三好軍の反攻を受けて教興寺に布陣していた湯川直光公は、この地で戦死されました。
弘法大師像
不動尊
境内には寺池、大門池という小さな2つの池があり、臨池式大伽藍の遺構だそう。
鐘楼
貞享年間に建てられた客殿(仮本堂)
仮本堂には大慈三昧院の扁額
新緑がとても気持ち良いです♪
百度石
庫裏の前にはかわいい猫ちゃんがいました♪
インターフォンで御朱印をお願いしますと、仮本堂へ上がらせて頂き、ご本尊の弥勒菩薩さまを拝ませて頂きました♪
そして、気になったのが、閉じられたお厨子の中にいらっしゃる辨才天さま。
そう!
山門前にあった碑に記された辨才天さまのことです。
この辨才天さまは弘法大師作と伝わる八臂辨才天さまで、年に2回御開帳があるとのことでした。
御開帳日は、お正月(1月1日~7日)と、7月7日。
御開帳日に再訪したいな♪
弁才天さまの御開帳(再訪記)
7月7日、弁才天さまの御開帳日に再訪しました。
訪れた日は岩戸神社の例大祭日で、太鼓の音が街中に響き渡っていました。
仮本堂で弁才天さまとご対面~♪
お顔の色がとても白く、それはそれは、気品のある美しい八臂弁才天さまでした。
写真がないので、街中で見つけたポスターをペタリ♪
この八臂弁才天さまは、弘法大師空海作と伝わっています。
弘法大師空海が教興寺に立ち寄られた時に、天照大神高座神社で修行され、その時に弁財天社を創建されました。
日本最初の岩窟弁財天とも称されていたようです。
明治の神仏分離令により、弁天山に祀られていた弁財天は教興寺へ移され、大正になって天照大神高座神社の末社として「岩戸神社」となりました。
教興寺の秘仏である八臂弁才天さまは、弁財天社創建時のご本尊さまではなかったのかと思います。
かつては弁天山に祀られていた弁財天さま。
現在は教興寺の秘仏として祀られています。
折しも岩戸神社の例大祭日と重なり、とても有難く拝見させて頂きました。
御朱印
おおさか十三佛霊場の御朱印を拝受しました。
アクセス
【所在地】大阪府八尾市教興寺7-21
【札所等】おおさか十三仏霊場第6番
【お手洗い】なし
【駐車場】なし
【交通アクセス】近鉄高安駅下車、東へ徒歩約15分。
大阪府で頂いた御朱印まとめ~神社編~
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