畝火山口神社(橿原市) 安産の神様と子授け石【御朱印】

畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)は、奈良県橿原市の畝傍山西麓に鎮座されています。

延喜式祝詞に記される大和国内の山口社6社(飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳成)のうちの1社です。

 

 

御祭神は、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと(神功皇后))、豊受姫命(とようけひめのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)。

畝傍山東側から畝傍山に登り、頂上まで行かず途中で西麓に下りて、参拝してきました。

 

畝火山口神社方面へ向かいます。

ここから5分程山道を下って行くと到着です。

 

御由緒によれば、大同元年(806)以前の創建であるようです。

御由緒書きによりますと、

「延喜式祝詞に皇室の御料林守護の為、山麓に山神の霊を祀るとあり、大山祇命をご祭神としていたことが伺える。」

と、あります。

このことから考えると、本来の御祭神は大山祇命であったのでしょう。

ところが長い歴史の中、何れの時にか古実を失い、主祭神であった大山祇命を末社に祀るようになり、気長足姫命、豊受姫命、表筒男命の三神を本殿に奉祀されるようになったようです。

 

手水舎

 

 

拝殿

 

 

拝殿の中に入ると、すごく気持ちのいい風が吹き抜けて行きます。
この心地良い風が、心も身体も癒してくれました。

 

畝火山口神社口碑によりますと、戦国の豪族、越智氏が南方約三キロの貝吹山に築城の時、真北の下方に神社を見下ろすことを恐れて、畝傍山西麓にあった畝火山口神社を山頂に遷座したようです。

天正三年(1575)の筆による畝傍山古図には、畝火山口神社が畝傍山頂に記されています。

そう・・昔は、畝傍山山頂に畝火山口神社があったのです。

現在も畝傍山山頂には畝火山口神社社殿跡が残っています。

そういえば、御由緒書きにも、
【昔、畝傍山腹にあり、今山頂に遷す。祭る所神功皇后にてまします畝火明神となづく】
と、ありました。

その後、昭和15年、畝傍山東麓の橿原神宮で大拡張工事が行われた際、橿原神宮や神武天皇陵を見下ろすのは良くないとして、日本政府より畝傍山西麓(現在地)に遷座するよう命じられ、郷社から県社に昇格しました。

 

境内には「子授け石」がありました。

畝火山口神社は、神功皇后が応神天皇を出産した伝承により、安産の神として信仰されています。

 

畝火山口神社 御朱印

 

【所在地】奈良県橿原市大谷町248-5
【御朱印】あり
【駐車場】未確認。(橿原神宮の駐車場を利用しました。)

 

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