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吐田極楽寺(はんだごくらくじ)は奈良県御所市にある浄土宗のお寺です。
正式名称は「仏頭山法眼院 吐田極楽寺」。
金剛山、葛城山の麓に佇む古刹で、山号の「佛頭山」という名には、このお寺の開基に纏わるとても不思議なお話が伝わっています。
また、南北朝時代には楠木正成の祈願寺となり、南朝方の合言葉に「極楽寺」が用いられたといわれています。
それでは、吐田極楽寺へと参りましょう。
縁起
開山は一和僧都(いちわぞうず)。
ある時、金剛山の東麓で毎夜光を放っているのを見て、その出どころを確かめに行かれました。
光を放っていた場所から仏頭(阿弥陀仏の頭)を発見!!
その仏頭は生身の仏様のようだったそうです。
その仏頭を御本尊として、天歴五年(951)、草庵を結び法眼院と名付けられました。
一和僧都は極楽の相を感見し、正暦五年(993)大往生されました。
このような縁起から「仏頭山法眼院 吐田極楽寺」と言われています。
境内
駐車場からの景色にビックリ!
まるで城壁のよう?
どんなお寺なんでしょう。
ワクワクしてきました(笑))
鐘楼門からお参します。
ちょっと影になって見えないと思うのですが、ちゃんと鐘がありました。
手水舎
本堂
一和僧都が発見した仏頭を本尊としていましたが、慶長十九年(1614年)筒井順慶の兵火にかかり焼失してしまいました。
約五十年後の寛文年中、焼失の仏頭に替わって阿弥陀如来(鎌倉時代)を迎えられ、現在に至ります。
本堂の横に天得堂があります。
天得堂
こちらの天得堂にも不思議なお話が残っているんですよ。
ご紹介しましょう。
今から七百年余り前、佐田の吉備の里という所に十河図書行光(そごうずしょゆきみつ)という人が故あって隠れ住んでおりました。
それは後二條天皇の徳治年間(西暦一三〇六年)六月九日の事、いつもの様に山へ分け入り、狩をしておりました。
不思議にその日は一つの獲物にも出会う事無く、夕刻になりやっと金剛山の朝原寺(あさはらでら)の阿辺りで鹿を見つけて後を追いましたが、姿を見失ってしまいました。
石に腰掛け休んで おりますと深い霧が一面を覆いつくし、そこに忽然と一人の僧が現れました。
行光は、僧に只者でない感じを受け、年来の悩みを相談すると、僧は、生き物の命の大切さ・仏の教えの尊さ・修行の必要性を懇切に教示され、如来の姿を描いた一軸を与え、たちまち紫雲に乗り西の方へ飛び去ってしまわれました。
この不思議な霊験に行光が感激して拝んでおりますと後方に、石に当たり大きな音を鳴らした物があり、見れば鉦(金属の打楽器)が落ちておりました。
これが当寺に残る「如来御軸」と「岩鉦(いわがね)」であり、その石を「日の石」と云う様になったと謂うことです。
行光は、いよいよ不思議に思い、自らの髪を切り、その後永らく自宅でこの霊仏をお祭りしておりました。
如来様の御利益は霊妙で、種々の厄病を救って頂いた方や信心の徳により福徳を与えられた人は実に多く、参詣する人が絶えませんでした。
そのため、この如来様を「天得如来さま」・厄除け如来さまとも申し上げております。
行光は晩年に夢告を受け、その死後、三月十五日(旧暦)に如来様を当寺へ奉安されました。
出典:『天得如来縁起(吐田極楽寺)』
兵火にかかり御本尊は焼失してしまいましたが、幸いなことに、寺宝の天得如来軸と鐘楼門は残りました。
毎年四月十五日には「天得会式」が行われています。
天得堂より葛城の里が一望です。
開山堂
御朱印
動画
(令和4(2022)年8月撮影)
アクセス・駐車場
【住所】〒639-2337奈良県御所市大字極楽寺108
【電話番号】0745-66-0145
【駐車場】参拝者無料駐車場あり。
【アクセス】近鉄御所駅よりタクシー15分。コミュニティバスあり。
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