玉津島神社(たまつしまじんじゃ)は、和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する神社です。

風光明媚な国名勝「和歌の浦」にあり、古来より和歌の神様を祀る神社として天皇や貴族、歌人たちに崇拝されてきました。

玉津島神社周辺には、六つの小高い島山(玉津島六山)があり、古には、これらの島山は潮が引くと陸続きになり、満潮になると玉のように海中に点在していたと推察されています。

玉津島六山とは、妹背山、鏡山、奠供山、雲蓋山、妙見山、船頭山のことで、現在では殆んど陸続きとなってしまいましたが、妹背山だけが島として残っているようです。

それでは、玉津島神社へと参りましょう。

鹽竈神社参拝後、玉津島神社へとやってきました。

歩いて2~3分程でしょうか。

 

玉津島神社への入口には立派な社碑がありました。

西参道を歩いて玉津島神社へと向かいます。

 

玉津島神社の創建は上古(じょうこ)ときわめて古く、社伝には「玉津島の神は『上つ世(かみつよ)』から鎮まり坐(ませ)る」とあり、風光明媚な神のおわすところとして崇められてきました。

 

鳥居の前に玉津島神社の案内版がありました。

神亀元年(724)、聖武天皇は紀伊国を訪れた時、干潟に向かって連なる玉津島山の眺めに感動して、この景観を守るよう命じられたとあります。

聖武天皇がご覧になった玉津島山の眺めとは、どのような眺めだったのでしょう。

 

案内版に江戸時代末頃の玉津島神社境内図がありました。

ちょっと拡大してみました。

江戸時代末の境内の様子からは境内右側から奠供山(てんぐやま)へと続く階段が見えます。

玉津島神社の裏にある奠供山は、724年の玉津島行幸の際、聖武天皇が登り詔を出したとされる山です。

奠供山には明治末から大正初期にはエレベーターがあり、夏目漱石もそのエレベーターで奠供山に登られたそうです。

 

拝殿

◆御祭神◆

稚日女尊(わかひるめのみこと)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
衣通姫尊(そとおりひめのみこと)
明光浦霊(あかのうらのみたま)

 

衣通姫尊は、第十九代允恭天皇の后で、その名の通り、「衣を通して光輝いた」と言われるほど美しく、和歌に秀でておられました。

衣通姫尊が祀られて以来、玉津島の神は「和歌三神(住吉大社、柿本神社、玉津島神社)」の一つとして朝廷はもとより、広く人々から崇められてきました。

 

拝殿右側より、本殿が少し見えました。

 

案内版にあった写真によりますと、本殿はこのような感じ。

すごく気品があって美しく、和歌の神様って感じがします。

 

天然記念物の根上り松(名称 鶴松)

大正十年に和歌山市高松から移転された巨大な根上り松が境内にあります。

砂の移動などで長い時間をかけて根元が洗われ、このような根上りの形になったと言われています。

古には、玉津島には七本の大きな松があり、この松を目指して、都から和歌上達祈願の為に玉津島詣でが行われていたようです。

 

小野小町袖掛の塀

小野小町が和歌の上達を願って玉津島神社に参詣した折、この塀に袖を掛けて和歌を詠んだと伝えられています。

 

玉津島を詠んだ萬葉歌が残されています。

 

玉津島神社 御朱印

 

【所在地】和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-26
【御朱印】あり。
【駐車場】あり。
【アクセス】和歌山バス「玉津島神社前」下車すぐ
玉津島神社公式サイト

 

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