紀三井寺 春の到来を告げる桜と三つの霊泉【御朱印】

紀三井寺(きみいでら)は、和歌山県和歌山市紀三井寺にある仏教寺院です。

正式名は紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさん こんごうほうじ ごこくいん)と言いますが、山内から涌き出す三つの霊泉(清浄水、楊柳水、吉祥水)から「紀三井寺」という名で親しまれています。

宝亀元年(770年)、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。

それでは、西国三十三所観音霊場の第2番札所でもある紀三井寺へと参りましょう。

楼門(国指定重要文化財)

室町時代・永正6年(1509)建立

 

楼門へ向かう階段横に、「清浄水」と呼ばれる霊泉が湧き出ていました。

「紀三井寺」という名の元になった三井水の霊泉の一つで、誰もが皆持っている罪障を洗い流す水と伝えられているようです。

 

楼門を抜けると231段の急な石段が待ち受けています。

この石段の名前は「結縁坂」。

 

この結縁坂には次のようないわれがあります。

 

「江戸時代の豪商・紀ノ国屋文左衛門は、若い頃にはここ紀州に住む、貧しいけれど孝心篤い青年でした。

 

ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り、観音様にお詣りしておりましたところ、草履の鼻緒が切れてしまいました。

 

困っていた文左衛門を見かけて、鼻緒をすげ替えてくれたのが、和歌浦湾、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘「おかよ」でした。

 

これがきっかけとなって、文左衛門とおかよの間に恋が芽生え、二人は結ばれました。後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送って大もうけをしたのでした。

 

紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂は、それ以来「結縁坂」と呼ばれるようになりました。」 と。(紀三井寺ホームページより抜粋)

 

この石段は、まさしく縁結びの石段ですね!!

石段は231段ありますが、石段途中には塔頭が数ケ所あるので、お参りしながらゆっくり登っていくのもおススメ。
休憩しながら登って行くことができますから(笑)

 

十一面観音を祀る七鈴観音

 

身代り大師

御朱印あります。

 

胡瓜封じの木札

胡瓜封じの秘法は今から約1200年前、弘法大師が薬師如来の本願によって病魔や邪気を胡瓜に封じ込め、病を癒し、自らの生命力を増進させ無病息災を得られた事が始まりとされています。

 

階段途中に紀三井寺の三井水のひとつである「清浄水」を発見!!

紀三井寺の三井水(さんせいすい)は名水百選に選定されているようです。

あれ?

楼門手前の階段にあったのも「清浄水」って書いてあったよね。

このお水と繋がってるのかな?

 

そんな事を考えながら、結縁坂を登って到着です。

 

境内から見える景色には和歌浦湾が一望です。

 

本堂前にソメイヨシノの標本木がありました。

近畿地方の春の到来を告げる開花宣言の基準となるのがこちらの桜の木なのです。

 

私が訪れたのは、まだ梅がちらほらと咲き始めの頃でした。

 

本堂 (江戸時代・宝歴9年(1759)建立)

御本尊さまは十一面観音さま。

厄除・開運・良縁成就・子授け・商売繁盛など諸々の心願を叶えて下さる霊験あらたかな観音様です。

 

秘仏本尊の十一面観音像、千手観音像などは、現在は裏手の大光明殿に移されています。

両像の御開帳は50年に一度。

次の御開帳は来年の2020年(紀三井寺の開創1250年)の予定だそうですよ!!

これは、是非、行きたいですね。

 

鐘楼(国指定重要文化財)

安土桃山時代・天正16年(1588年)建立。

左手には幸福観音さま。

 

六角堂

江戸時代・寛延年間(1750年頃)、初代・二代目雑賀弥左ェ門建立。

西国三十三カ所の御本尊さまが祀られています。

 

西国三十三所第二番 紀三井寺御朱印

 

【所在地】和歌山県和歌山市紀三井寺1201
【御朱印】あり。
【駐車場】あり。
【札所】西国三十三所第2番
【アクセス】JR西日本 紀勢本線 紀三井寺駅から徒歩10分。南海和歌山市駅から和歌山バス紀三井寺行きなどで31分、JR西日本 和歌山電鐵 和歌山駅からは16分、紀三井寺下車。

紀三井寺公式サイト

 

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