綱敷天神社御旅社(大阪市) 梅塚天満宮から始まった菅原道真公との約束【御朱印】

綱敷天神社御旅社(つなしきてんじんじゃおたびしゃ)は、大阪府大阪市北区茶屋町に鎮座しています。

主祭神は菅原道真公。

綱敷天神社御本社から境外飛び地末社である歯神社と巡ってきましたが、この御旅社が最後です。

「御旅所」というのはよくありますが、「御旅社」って珍しいですね。

「御旅所」は神様の別荘地のような仮の神社を指す言葉ですが、「御旅社」は常に神様がいらっしゃるとか。

御旅社は元々御本社の南にあり、かつては「梅塚天神」と称さていたようです。

それでは、綱敷天神社御旅社へと参りましょう。

綱敷天神社御本社 → 境外飛び地末社の歯神社と巡ってきました。

 

三社の位置関係はこんな感じ♪

 

歯神社から徒歩5分程で、綱敷天神社御旅社へ到着です。

 

 

境内

 

賑やかな通り沿いにある御旅社。

こじんまりとした境内は、とても神聖な空気が流れていました。

 

 

扁額

 

 

手水舎

 

 

拝殿

ご祭神は菅原道真公。

 

綱敷天神社の御由緒

 

今から1100年程前の昌泰四年(901)、菅原道真公が無実の罪により京都から大宰府に左遷される時に「神野太神宮」へ参拝され、紅梅が美しく咲いていたので、それをご覧になるために船綱をといて御座とされました。

道真公が大宰府へ旅立たれた後、当地に残った道真公の従臣の一族らが、道真公が愛でられた紅梅の樹下に小祠を構え、これを「梅塚天満宮」と号しました。

のちに、「神野太神宮」と「梅塚天満宮」が合祀される事になり、「綱敷天神社」と社号が改められ、「神野太神宮」を御本社、「梅塚天満宮」を御旅社と定められることに。

その後、御旅社は明治初年頃に梅塚の地より、菜の花の名所であった茶屋町に移られ現在に至ります。

ちなみに、この「梅塚」が梅田の梅の字の由来とも言われています。

 

 

さてさて。

菅原道真公が無実の罪で大宰府へ流される時に、道中同行した従臣の一族。

従臣の名は度会春彦といい、現在、綱敷天神社の神職を務められる白江秀知さんは、度会春彦の子孫で白江家の第56代目にあたります。

白江という名は、道真公がつけた名であるそうです。

別れの際、道真公は梅の木の下で、残る者たちに自画像を手渡し、この絵を自分だと思って、戻ってくるその日までここで待っているようにと言い残したそうです。

あ~。

なんとも切ないですね。

道真公は戻ってくる事ができなかったけれど、従臣の子孫はこの梅田の地で、ずっとずっと道真公を思い、神社を守っておられるのですね。

とっても素敵なお話なので下記にリンクさせて頂きます。
道真公との約束を、守り伝えてきた千百年

 

 

境内末社 玉姫稲荷神社

ご祭神は玉姫稲荷大神(宇迦御魂大神)。

女性守護、縁結びの神さまです。

 

 

神牛像

天神さま(菅原道真公)のお使いとされる牛。

「なで牛」又は「神牛像」といい、頭がよくなりたい方は頭を、足が良くなりたい方は足をなでると、ご利益を授かるといわれています。

 

神牛像の背中には、梅紋が♪

 

 

御旅社から裏側に回ると、ご本殿がよく見えます。

 

綱敷天神社御本社 → 境外飛び地末社「歯神社」 → 綱敷天神社御旅社 と巡ってきました。

三社を巡って1時間位でした♪

 

 

御朱印

 

綱敷天神社 御旅社の御朱印(中央)

御祭神に筆法の大神さまである嵯峨天皇さま、菅原道真公をお祀りしている所以から、墨汁ではなく墨と筆による手書きです。
美しい書体にうっとりします♪

御朱印の詳細・注意事項はコチラから

 

 

アクセス

 

【所在地】大阪市北区茶屋町12-5

【電話】06-6371-1586

【開門時間】午前6時~午後6時頃

【授与所受付時間】詳細はこちらから

【駐車場】なし

【交通アクセス】・阪急電車茶屋町口降りて徒歩約3分 ・JR大阪駅降りて徒歩約10分 ・古本屋街「かっぱ横丁」東側すぐ。

綱敷天神社公式サイト

 

 

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