- 投稿 2017/09/19更新 2021/01/07
- 奈良の神社 - 桜井市
久延彦神社(くえひこじんじゃ)は大神神社の末社です。
御祭神である久延毘古命(くえびこのみこと)は、「古事記」に、どこへも足を運ばなくても世の中の事を全て知っている神様で、知恵がたいそう優れておられると記されています。
それゆえに知恵・学問の神様として信仰を集め、学力向上・各種試験の合格をお守りくださり、今日では就職成就はもとより、仕事面においても知識・智力の向上・発展に大きな御力を授けてくださります。
2017/09/19
久延彦神社(くえひこじんじゃ)は大神神社の末社です。御祭神である久延毘古命(くえびこのみこと)は、「古事記」に、どこへも足を運ばなくても世の中の事を全て知ってい ...
2017/09/19
檜原神社(ひばらじんじゃ)は大神神社の摂社です。檜原神社は天照大御神を、末社の豊鍬入姫宮(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこ ...
2017/09/18
狭井神社は大神神社の摂社で、正式な名前は「狭井坐大神荒魂(さいにますおおみわあらみたま)神社」です。三輪の神様、大物主大神の荒魂(あらみたま)を祀る神社で、力強 ...
2017/09/18
大神神社(おおみわじんじゃ・大和国一宮)は、奈良県桜井市三輪に鎮座されています。主祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)。ご利益は、縁結び、子授け、夫婦和合、五穀 ...
2017/09/17
久米寺(くめでら)は、奈良県橿原市久米町にある真言宗御室派の寺院で、山号は霊禅山。ご本尊は薬師如来坐像。久米寺は久米仙人(くめせんにん)伝説のお寺として知られて ...
2017/09/14
誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市に鎮座されています。応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を主祭神として、住吉大神を併せ祀ります。社伝によると、永享5年 ...
2017/09/13
東大寺大仏殿は正式には東大寺金堂(国宝)と言うそうですが、「大仏殿」の名で広く知られています。見どころはやはり、大きな廬舎那仏(奈良の大仏さん)でしょう。創建当 ...
2017/09/12
二月堂を後にして、次の目的地である大仏殿を目指します。途中、大湯屋と念仏堂と俊乗堂、そして、鐘楼を見てから向かう事になりました。この道を二月堂裏参道と言うようで ...
2017/09/12
三昧堂(四月堂)から二月堂に移動してきました。二月堂は、奈良時代(8世紀)創建されました。寛文7年(1667年)、修二会の満行に近い2月13日に失火で焼失。現存 ...
2017/09/11
東大寺・法華堂から三昧堂(さんまいどう)へ移動して来ました。三昧堂は俗に「四月堂」とも呼ばれていて、法華堂のすぐ近くに向かい合うように建っています。現在の御本尊 ...
久延彦神社(くえひこじんじゃ)は大神神社の末社です。
御祭神である久延毘古命(くえびこのみこと)は、「古事記」に、どこへも足を運ばなくても世の中の事を全て知っている神様で、知恵がたいそう優れておられると記されています。
それゆえに知恵・学問の神様として信仰を集め、学力向上・各種試験の合格をお守りくださり、今日では就職成就はもとより、仕事面においても知識・智力の向上・発展に大きな御力を授けてくださります。
狭井神社は大神神社の摂社で、正式な名前は「狭井坐大神荒魂(さいにますおおみわあらみたま)神社」です。
三輪の神様、大物主大神の荒魂(あらみたま)を祀る神社で、力強いご神威から病気平癒の神様として信仰が篤いです。
又、御社名の「狭井」とは神聖な井戸・泉・水源を意味し、そこに涌き出る霊泉は太古より「くすり水」として信仰の対象になっています。
大神神社(おおみわじんじゃ・大和国一宮)は、奈良県桜井市三輪に鎮座されています。
主祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)。
ご利益は、縁結び、子授け、夫婦和合、五穀豊穣、病気平癒、産業開発、交通・航海守護、商売繁盛など幅広いです。
それでは大神神社へ参りましょう。
久米寺(くめでら)は、奈良県橿原市久米町にある真言宗御室派の寺院で、山号は霊禅山。
ご本尊は薬師如来坐像。
久米寺は久米仙人(くめせんにん)伝説のお寺として知られていますが、もともとこの地は、久米部(くめべ)の武人の住んだ地といわれ、推古天皇2年の時に、聖徳太子の弟である来目皇子(くめのおうじ)が創建されたと伝えられている古寺です。
それでは久米寺へと参りましょう。
誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市に鎮座されています。
応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を主祭神として、住吉大神を併せ祀ります。
社伝によると、永享5年(1433)に足利義教(室町幕府第6代将軍)が奉納した「誉田宗廟縁起絵巻」には、欽明天皇(第29代)の勅定によって応神天皇の陵の前に営まれた社殿を、後冷泉天皇(第70代)の頃(1045~68)になって、南へ1町(約109メートル)離れた現在の場所に造り替えたことが伝えられています。
東大寺大仏殿は正式には東大寺金堂(国宝)と言うそうですが、「大仏殿」の名で広く知られています。
見どころはやはり、大きな廬舎那仏(奈良の大仏さん)でしょう。
創建当初の大仏および大仏殿は、聖武天皇の発願により、8世紀に造られたものでありました。
少し簡単に大仏殿の歴史を見てみましょう。
二月堂を後にして、次の目的地である大仏殿を目指します。
途中、大湯屋と念仏堂と俊乗堂、そして、鐘楼を見てから向かう事になりました。
この道を二月堂裏参道と言うようです。
土塀があり、なかなか風情のある素敵な道です。
スケッチを楽しまれている方もたくさんいらっしゃいました。
三昧堂(四月堂)から二月堂に移動してきました。
二月堂は、奈良時代(8世紀)創建されました。
寛文7年(1667年)、修二会の満行に近い2月13日に失火で焼失。
現存する二月堂は、その直後の寛文9年(1669年)、江戸幕府の援助を得て、再建されたもので、国宝に指定されています。
東大寺・法華堂から三昧堂(さんまいどう)へ移動して来ました。
三昧堂は俗に「四月堂」とも呼ばれていて、法華堂のすぐ近くに向かい合うように建っています。
現在の御本尊は十一面観世音菩薩。
平安後期の記録「東大寺要録」によると、治安元年(1021)に、仁仙大法師と助慶上人が創建し、傍らに僧坊を造って法華三昧行を修したと伝えられています。
現在のお堂は延宝九年(1681)の再建。