叡福寺 聖徳太子の御廟がある寺院【御朱印】

叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町にある仏教寺院です。
聖徳太子の御廟があることで知られています。

山号は磯長山(しながさん)、ご本尊は如意輪観音。

聖徳太子が眠る墓があり、その墓を守るために伯母の推古天皇が建立し、奈良時代には聖武天皇によって大伽藍が整備されたと伝わっています。

叡福寺は、「上之太子」とも呼ばれ、「中之太子」と呼ばれている野中寺(羽曳野市)、「下之太子」と呼ばれている大聖勝軍寺(八尾市)とともに、三太子の一つに数えられている仏教寺院です。

 

叡福寺駐車場
叡福寺駐車場

 

南大門
叡福寺南大門

 

南大門の仁王像
叡福寺仁王像

 

南大門の扁額は元総理大臣・岸信介の筆
叡福寺扁額

 

手水舎
叡福寺手水舎

 

叡福寺縁起
叡福寺縁起

 

南大門をくぐって左側に多宝塔・金堂・聖霊殿があり、正面奥に二天門、その向こうに聖徳太子墓があります。

 

叡福寺境内

 

叡福寺は、天正2年(1574年)の織田信長による兵火で大きな被害を受け、創建当時の建物は残念ながら残っていません。慶長年間(1596~1615年)、後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が伽藍を再興しました。

 

多宝塔(重文)

多宝塔は承応元年(1652年)に再建され、重要文化財に指定されています。
内部は釈迦尊像や大日如来像等が安置され、柱には四天王像が描かれているそうですが、非公開となっています。

 

境内休憩所にパネルが展示してありました。
多宝塔内東面にいらっしゃる三尊像のお写真のようです。
通常、内部は見ることができないのでが、お写真で拝見することができました。

叡福寺三尊像

 

金堂

享保17年(1732年)再建。

 

金堂前から見た境内

 

聖霊殿(重文)

1603年(慶長8年)豊臣秀頼により再建。聖徳太子16歳像が祀られています。

 

聖霊殿前から見た空がすごく美しかったです。

 

二天門
叡福寺二天門

 

二天門をくぐると聖徳太子御廟がすぐに見えてきました。

 

聖徳太子御廟
御廟の背後は叡福寺北古墳(磯長墓)で、聖徳太子、太子の母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)、太子の妃・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が埋葬されているとされ、「三骨一廟」と呼ばれています。

叡福寺聖徳太子御廟

聖徳太子は生前、推古天皇28年(620年)にこの地を墓所と定めたといわれています。

推古天皇29年(621年)、穴穂部間人皇女が没するとここに葬られ、翌年の推古天皇30年(622年)には、聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女が追葬されたと伝えられています。

 

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御廟の正面、扉の上に阿弥陀三尊のご来迎をあらわした木彫りの額がありました。
この額は叡福寺の玄雅が延享3年(1746年)に寄進したものとされ、三骨一廟の意味を表しているそうです。
叡福寺阿弥陀三尊阿弥陀三尊
左から勢至菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩

 

聖徳太子御廟から右手に歩いて行きますと、お堂が並んでいます。

 

浄土堂

 

聖徳太子は仏教を日本に広め、仏教の興隆に尽力されました。
空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍など新仏教の開祖となった僧たちも、墓所がある叡福寺に参籠したことが知られています。

 

見真堂

親鸞聖人自作の御尊像が祀られています。

 

良忍聖応大師磯長御廟

聖徳太子信仰の厚かった良忍聖応大師。平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。融通念仏宗の総本山である大念仏寺(大阪市平野区)は日本最初の念仏道場です。

 

弘法大師像

 

弘法大師堂

 

科長岡神社

 

 

河内飛鳥古寺霊場第15番 御朱印
叡福寺河内飛鳥霊場御朱印

 

叡福寺 御朱印
叡福寺御朱印

 

聖徳太子霊跡6番 御朱印

 

2017.12.7再訪

 

【所在地】大阪府南河内郡太子町太子2146
【御朱印】あり。
【札所】新西国三十三箇所客番・仏塔古寺十八尊第2番・聖徳太子霊跡6番・河内西国三十三箇所21番・神仏霊場巡拝の道第57番・河内飛鳥古寺霊場第15番
【駐車場】無料駐車場あり。

 

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