大直禰子神社(桜井市) かつては三輪明神の神宮寺だった!お寺の雰囲気が残る大神神社の摂社

大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)は奈良県桜井市に鎮座する大神神社の摂社です。

 

御祭神は、大物主大神のご子孫である大直禰子命(おおたたねこのみこと)、少彦名命、活玉依姫命。

大直禰子命は、大物主大神のご子孫であることから若宮社とも呼ばれています。

本殿には奈良時代の大神寺創建当初の部材が残っており、貴重な神宮寺の遺構として、国の重要文化財に指定されています。

それでは、大直禰子神社へと参りましょう。

 

 

境内

 

鳥居

 

扁額には若宮社

 

第十代崇神天皇の御代、疫病が流行し国難が起こった時に、天皇の夢に大物主大神が現れて「自分の血を引く大直禰子の手によって祭られればそれは収まる」と告げられます。

そこで大直禰子を捜したところ、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら、現在の堺市)で見つかります。

天皇が、

「あなたは、誰の子であるか?」とお尋ねになったところ、

大直禰子は、

「私は、大物主大神が、陶津耳命(すえつみみのみこと)の娘である活玉依毘売(いくたまよりびめ)を娶って生んだ、櫛御方命(くしみかたのみこと)の子の飯肩巣見命(いいかたすみのみこと)のさらに子の建甕槌命(たけみかづちのみこと)の子の大直禰子です。」

と答えます。

天皇は「これで、天下は平安し、人民は栄える!」と仰せになり、大直禰子を祭主とし、大物主大神を祀ります。

すると、疫病は収まり、国が平和に栄えたとされています。

 

 

大直禰子神社の前に「おだまき杉」があります。

『古事記』にある活玉依毘売(いくたまよりひめ)との神婚に由来しており、大直禰子命の御誕生を物語る杉です。

 

少し簡単にお話をご紹介します。

その昔、活玉依毘売の元へ夜ごと通う男性がいました。

その男性の正体を見極めるために、男の着物の裾に麻糸を付ける活玉依毘売。

翌朝、その糸を辿って行くと、三輪山の杜へと続き、おだまき杉の所で糸が終わっていました。

その男性の正体は大物主神であった・・・というお話です。

 

江戸時代には、すでに文献に記載されている名木でありましたが、やがて枯れてしまい現在、根本だけが大切に残されています。

 

 

社殿

神仏習合の時代は、大神神社には三つの神宮寺(平等寺・大御輪寺・浄願寺)がありました。

 

こちらの大直禰子神社は、大神寺・後に大御輪寺として、永らく大直禰子命の御神像と十一面観音(国宝・現在は市内の聖林寺に奉安)があわせ祀られてきました。

 

神仏分離令により、明治4年、大神神社の摂社に改められました。

 

 

本殿の前には「飛鳥の橘」と「吉野の桜」の木があります。

こちらは「飛鳥の橘」

垂仁天皇の時代、田道間守(たじまもり)が、はるばる常世の国から持ち帰ったという橘の伝えにならい奉納されました。

 

「吉野の桜」

 

 

御饌石

この御石はお正月のご神火まつりの時、久延彦神社に神饌をお供えする石です。

 

知恵の神様久延彦神社へお参り出来ない方はここから遙拝できるようです。

 

 

境内にある鉢を覗いてみると、金魚がいました♪

 

 

安産の守護神 御誕生所社

御祭神は鴨部美良姫命

 

 

池の畔にも神様がいらっしゃいました。

 

 

火難除の守護神 琴平社

御祭神は大物主神

 

 

動画

 

(2021年12月撮影)

 
 

アクセス

 

【所在地】奈良県桜井市三輪177
【御朱印】あり
【駐車場】あり(大神神社駐車場)
【交通アクセス】JR西日本万葉まほろば線(桜井線)三輪駅下車徒歩約10分。大神神社二の鳥居を左手に曲がると鳥居が見えてきます。

大神神社 公式サイト

 

 

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