- 投稿 2024/12/15更新 2025/04/06
- 大阪の神社 - 和泉市

2024/12/15
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2024/07/24
蟻通神社(ありとおしじんじゃ)は、大阪府泉佐野市長滝に鎮座しています。かつては蟻通明神と呼ばれていました。主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。社伝によれば ...
2024/07/19
種河神社(たねかわじんじゃ)は、大阪府泉南市新家に鎮座しています。御祭神は素盞嗚大神(すさのおおおかみ)、龍王(おかみのかみ)、丹生大神(にうおおかみ)。神社入 ...
陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は、大阪府堺市中区上之に鎮座しています。
和泉国大鳥郡の式内社。
御祭神は高魂命(たかみむすびのみこと)、劔根命(つるぎねのみこと)、八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)。
第十代崇神天皇の7年に、素盞鳴命(すさのおのみこと)十世の孫、太田田根子命(おおたたねこのみこと)がこの陶邑(すえむら)に社を建てたと伝えられています。(陶荒田神社の表記に従い「太田田根子」と記載します。)
太田田根子命の子孫の荒田直が祖先神をお祀りし、その後、地名の陶(すえ)と人名の荒田(あらた)から「陶荒田神社」と呼ばれるようになりました。
須恵器(日本の陶器の祖)の発祥地に鎮座されていることから、別名、陶器大宮とも呼ばれています。
境内はとても清々しい空気が流れていました。
それでは、陶荒田神社へと参りましょう。
蟻通神社(ありとおしじんじゃ)は、大阪府泉佐野市長滝に鎮座しています。
かつては蟻通明神と呼ばれていました。
主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。
社伝によれば第9代の開化天皇の御宇勧請により、弥生時代中期の紀元93年に、五穀豊穣・国土開発を祈る目的で祀られたのが始まりと伝えられています。
1942年(昭和17年)に佐野陸軍飛行場を建設するため現在地への移転が始められ、1944年(昭和19年)8月に遷座されました。
その際規模は縮小されましたが、社殿・舞殿・門・灯籠などの建造物はほぼ元通りに配置され、神社内の殆どの建造物が国登録有形文化財に指定されています。
平安時代の歌人清少納言の随筆「枕草子」に、「蟻通の明神。貫之が馬のわづらひけるにこの明神のやませ給ふとて・・」と、蟻通明神が登場する段があります。
「枕草子」に記された蟻通明神と紀貫之との故事とは?
それでは、故事を紐解きながら蟻通明神へと参りましょう。
種河神社(たねかわじんじゃ)は、大阪府泉南市新家に鎮座しています。
御祭神は素盞嗚大神(すさのおおおかみ)、龍王(おかみのかみ)、丹生大神(にうおおかみ)。
神社入り口にありました縁起によりますと、年代の記載はありませんでしたが、かつて住民の崇敬が篤い祇園天王(素盞嗚大神)を祀る殿舎があったようです。
その殿舎が天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の根来征伐の兵火の為焼失してしまい、山下・樫木の森(宮村)に假社殿を建立。
祇園天王・樫木権現(龍王)・千森の明神(丹生大神)を合祀し、元和九年(1624年)に社殿を竣工。
京都の御室仁和寺より種河明神の神号が授けられ、明治時代に種河神社と改名されました。
神社近くにある笠山には、役行者が「孔雀の神呪」という呪法を行い、加賀白山権現を勧請したという「白山神社」が鎮座しています。
それでは、種河神社へと参りましょう。