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- 大阪の神社 - 東大阪市
若江鏡神社(わかえかがみじんじゃ)は大阪府東大阪市に鎮座されています。
御祭神は、大伊迦槌火明神(おおいかづちほのあけのおおかみ)・仲哀天皇・神功皇后。
若江鏡神社の創建年代は不詳ですが、「延喜式」(905~927)という、日本の律令を記した古書の中の神名帳にその名が記されている由緒ある神社です。
境内地は約二千坪。
ご神気を感じられるとても気持ちの良い神社です。
それでは、若江鏡神社へとご案内しましょう。
拝殿
【ご祭神】
大伊迦槌火明神(おおいかづちほのあけのおおかみ)
足仲彦天皇(仲哀天皇)
気長足姫尊(神功皇后)
若江鏡神社は、太陽神を拝する日読みの地として創建された聖地であるとされていて、ご祭神を天火明命、あるいはそれと合体した大伊迦槌火明大神と見る説があります。
「若江」という地名の由来ですが、御由緒によりますと、神功皇后御在世四年六月に大旱魃があり、近郷一帯の農作物が殆ど枯死寸前に至ったとき、神官、国司、氏子が一丸となり、ご神前で大般若経(東大阪市重要文化財)を唱読し祈願したところ、14日目に神社裏の淵より清水が湧き出し危機を救ったと言われています。
これより、大般若経の「若」と水の源の「江」をとり、六十余ヶ村を若江郡と称せられたということです。
元より御祭神は、人間生活上最も必要な水と深い縁があり、石燈篭を見ても雨乞い祈願成就の御礼として奉納された物も多数見られるようで、氏子地域の守り神として深く信仰されていました。
また、若江鏡神社には元禄十一年(1699)、雨乞いのために奉納された「大般若経600巻」が残されていて、市の文化財に指定されています。
本殿 千木
ご本殿は、大阪夏の陣にて焼失し、現在のものは文政11年(1828年)に再建されたものです。
一間社流造2棟を中央に相殿を入れて連結しためずらしい遺構で、文化、文政期の社殿建築の特色を示すものとして貴重なものとなっています。
昭和43年10月29日東大阪市文化財保護規定により、有形文化財に指定されました。
さて、拝殿と本殿の間にある中庭には、「雷の手形石」と呼ばれる奇石があります。(通常は見る事ができないです。)
「雷の手形石」のお話を簡単にご紹介しますと・・。
その昔、雷が誤ってご神前に落ちて、神様の怒りを受け天上に帰れなくなりました。
二度と落ちない約束として石に手形を残し、神様に許してもらい天上に帰って行った・・と、伝えられています。
本殿前の重要な位置にあることから、祭祀に使われたのか、大事な物を埋めたのではないかと言われていますが、詳細は不明です。
では、境内社をご紹介しましょう。
若江鏡神社のご祭神である神功皇后が朝鮮半島への出征の折、鏡を埋めて塚を築き必勝祈願したとされています。
鏡神社と呼ばれる前には、「塚本大明神」とも呼ばれていた記述もあり、大変重要な場所であると考えられます。
宝篋印塔のようなものが見えますが、この後ろに立石があり、多分これが鎌倉時代の石塔の一部だと思われます。
八雲歓喜天社(御神木の巳さんを祀る)
熊野権現社(熊野三山の神様)
御縁地蔵社(縁あって祀られているお地蔵さま)
皇大神宮社(伊勢神宮の神様・右)と、水神社(水神様・左)
碑文。
「往古天正年間、豊太閤秀吉公は、若江城へ在城の砌り、自ら植樹され現在に至る。然るに道路拡張の際し移転の運命となり、当神社の神木に移植する尚此の碑は秀吉公大阪築城の石垣と縁のある巨石と伝説あり。」
上記の碑文によりますと、豊臣秀吉が若江城に来られた時に植樹されたクスノキが神社にあるようです。
こちらのクスノキでしょうか?
神社の方に、こちらのクスノキの樹齢を訪ねてみましたが、解らないようでした。
若江鏡神社の本殿は、真正面に春分秋分に生駒山系の山から登る太陽を望み、南に30度振った方位に冬至の日の出を望む地に立地するとされています。
そのことから、若江鏡神社は季節の節目である春分秋分の朝、昇る太陽を正面に拝する「日読みの聖地」であるとされています。
【所在地】大阪府東大阪市若江南町2-3-9
【御朱印】あり。
【駐車場】参拝者無料駐車場あり。
【アクセス】近鉄奈良線・若江岩田駅より徒歩約15分
※毎年秋に行われるだんじり祭りは勇壮で、とても賑わいます。
若江鏡神社から北へ徒歩2~3分程の場所に「若江城跡」があります。