菅原神社(大阪) 堺天神でホタル観賞を楽しもう【御朱印】

菅原神社(すがわらじんじゃ)は、堺市堺区に鎮座されています。

通称、堺天神(さかいてんじん)と呼ばれていて、地元では「天神さん」とよばれ親しまれています。

毎年六月中旬頃、日本庭園で二日間にわたって開かれる菅原神社のホタル観賞会は、数千人の見物人が訪れます。

ゲンジボタルとヘイケボタル、およそ八百匹から千匹が闇の中で光の乱舞を繰り広げ、都会の中で自然のロマンを楽しむことができます。

デートスポットとしても、ロマンチックでとても素敵ではないでしょうか。

大阪府指定有形文化財建築物である楼門も、とても色鮮やかで美しいです。

では、楼門をくぐり、菅原神社へとご案内いたしましょう。

 

楼門

 

楼門とは二階建ての門で、上層に手すり付きの縁が廻らされている門のことです。

この建物の特徴のひとつは、軒を支える複雑な組物に、彫刻を施した絵様肘木(えようひじき)を用いて、簡略化しているところです。

 

下の写真は上層部の複雑な組物の写真です。

上層に見られる大斗(だいと)絵様肘木の上に尾垂木(おだるき)付きの絵様実肘木(さねひじき)を重ね、伝統的な二手先(にてさき)組物に似た構成としています。

このような特色ある手法や様式などから、建立時代は17世紀後期に遡ると見られています。

 

 

浜寺公園千両松幹

 

楼門をくぐり振り返りますと、向かって楼門下層右側には、「浜寺公園千両松幹 樹齢800年」がど~ん!っとありました。

千両松とは『浜寺公園誌』によりますと、紀州街道沿い大鳥神社参道つきあたりの延長上にあって、周囲1丈3尺(約4m)、高さ6間半(約12m)、樹齢800年といわれる大木であったそうです。

戦後、浜寺公園が占領軍に接収された時に取り除かれ、その幹の一部が菅原神社の楼門に移されてきました。

 

向かって楼門左側には「小西行長の手植 傘松の幹 樹齢400年」。
小西行長が三韓より持ち帰り奉納した傘松の大木の幹です。

小西行長は、豊臣秀吉の時代、加藤清正と並んで朝鮮侵略の先鋒となった堺の武将です。
多分、その時に持ち帰った松なのでしょうね。

 

 

境内

 

菅原神社の境内は、きれいに掃き清められていて、清々しく、とても気持ちがよかったです。

 

さて、ここで菅原神社の由緒を御紹介しましょう。

 

【御祭神】
菅原道真公
天穂日命
野見宿祢(菅原道真公の祖)

 

今から千年以上前、節摂津の国北の庄、海船の濱に一体の木像が流れ着きました。

これは、菅原道真公が配流された大宰府の地で自ら作られ、海へ放された七天神のうちのひとつと伝えられています。

ご神体はしばらく付近の住人によって、大切に祀られていましたが、摂津の国北の庄の氏神であった、天台宗威徳山天神常楽寺(てんだいしゅういとくざんてんじんじょうらくじ)の僧徒がご神体を同寺に遷し、九九七年(長徳三年)に天神社を創建したことが菅原神社の始まりとされています。

その後、明治政府の神仏分離令により、天神社を菅原神社と名称を改めます。

そして近隣の神社を整備し、一九〇七年(明治四十年)は、宿屋町の薬祖神社、翌年には宿屋町の事代主神社、神明町の神明神社、泉北郡の附島神社、熊野町の熊野神社を境内に遷してお祀りし、戎之町の事代主神社を菅原神社の飛地境内地である戎島の恵比寿神社に遷してお祀りしました。

その後、第二次世界大戦により、楼門と金毘羅宮を残して建物や宝物が完全に焼失しまいますが、戦後、菅原神社と戎神社、薬祖神社、の三社が再建されました。

 

開運招福を祈願して奉納された大理石の神牛

 

菅原神社

現在の本殿と拝殿は、第2次世界大戦で焼失した後に造営されたもの。本殿は、屋根の片側が前方に延びて、長い庇になっている「流造り」。

997年に海船の濱に流れ着いた道真公ご自作のご神体が鎮座されています。

拝殿は、戦火を逃れた金毘羅宮を移築して建てられたもので、瓦にはそれを示す「金」のマーク(丸の中に金の字)が刻まれています。

 

瓦に金のマークがしっかりと見えますね。

 

 

薬祖神社

 

御祭神:少彦名命・神農大神

御由緒によりますと、後小松天皇応永四年(1397)八月、足利義満が明に遣明使を派遣した折に、神農の神像を得て堺の薬種商に授けられます。

薬種商は明神町に祠を設け、薬祖(神農)神社として奉斎し、これが薬祖神社の始まりであったとされています。

ちなみに、大阪の神農さんで有名な「少彦名神社」より250年も古くから既に堺の地に奉斎されていたことから、日本最古の薬祖神社と言われています。

近年では、癌封じの神様として知られています。

 

 

堺戎神社

 

御祭神:事代主命
毎年1月9・10・11日の例祭には、南大阪随一のえべっさんとして、商売繁盛・家内安全を願う多くの人で賑わいます。

 

 

稲荷神社

 

平成十三年(2001)に稲荷神社が再建されました。

 

 

石田梅岩(いしだばいがん)先生像

石田梅岩先生は江戸時代初め、1685年に京都府亀岡で生まれ1744年に59歳で没した思想家、倫理学者であり、石門心学(せきもんしんがく)の開祖です。

 

くすの木(堺市指定保存樹木)

 

 

御朱印

 

菅原神社 御朱印

 

薬祖神社・堺戎神社 御朱印

 

 

アクセス

 

【所在地】大阪府堺市堺区戎之町東2丁1-38
【御朱印】あり。
【駐車場】未確認。
【アクセス】南海本線・堺駅、または南海高野線・堺東駅から徒歩10分。阪堺線・大小路駅から徒歩3分。

菅原神社 公式サイト

 

 

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