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八剱神社(やつるぎじんじゃ)は、大阪府大阪市城東区に鎮座しています。
御祭神は八劔大明神・武速須佐雄大神・罔象女大神。
ご利益は「災難除け」。
八劔大明神は、須佐之男命(すさのおのみこと)と同体とされています。
須佐之男命は、巨大な大蛇を退治し、来たるべき災難を未然に防ぐことが出来たことから「災難除けの神様」として崇められています。
初めて訪れた八劔神社は不思議な体感を感じたり、面白い現象が起こったり?・・と、神様感を感じる神社でした。
それでは、八剱神社へと参りましょう。
JRおおさか東線「鴫野駅」を降りてテクテク♪
5分程で到着です。
境内
鳥居をくぐると、正面に拝殿が見えてきました。
手水舎
とても美しい拝殿です。
【御祭神】
・中御座 八劔大明神(やつるぎだいみょうじん)
・北御座 武速須佐雄大神(たけはやすさのおのおおかみ)
(相殿)竒稲田姫大神、八頭大神
・南御座 罔象女大神(みづはのめのおおかみ)
(相殿)天照皇大御神、春日大神
拝殿からは、厳しさと優しさが同居しているような雰囲気を感じます。
これは、八劔大明神と罔象女大神の空気感なのかな。
【ご鎮座の由来】
頂いた参拝のしおりには、とても興味深い神社の由来が記されていました。
応永の始め、鴫野村の住民某がある夜夢を見た。その夢枕に一人の老翁が現れ、「吾はこれ熱田の神なり。跡をこの地に垂れんと欲す。明日汝等出でて吾を淀川の河辺に迎うべし」 と告げたので、翌日村人十数人を呼んでことの次第を語ったところ、自分も同じ夢を見たと云う者が、十人余に及んだ。
そこで一同は各々衣服を改めて河辺に出迎えると、果たして一ぴきの小蛇が河中に現れ、まっすぐこちらに向って来て、やがて岸に上がった。その様の悠々泰然たるを見て、村人は畏敬に打たれ、一同相従って行くと、小蛇は川を越え堤を経て鴫野村に入った。
そして、小蛇が留まった所を見て、村人たちはそこに小さな祠を建ててこれを祀った。時に応永3年(1396年)9月22日のことである。(なお、別伝で蛇ではなく、白鳥の伝えもある)
以来、室町、戦国、江戸、明治を経て、大正4年天王田村の氏神八坂神社と永田村の氏神水神社を合わせ祀って、今日に至る。
拝殿でご挨拶の後、ご本殿が見えるかな~っと思い横側から覗いてみました。
すると・・!
とても美しいご本殿が見えた・・っと思ったら、背中がふわっ・・っと温かくなってビックリ!!
それから、暫く、背中がふんわりと温かくとても気持ち良いのです。
不思議な体験でした(笑))
拝殿横には野神社(末社)が鎮座されています。
御祭神は宮地神・鹿屋野比賣命。
末社三社
■戎神社 事代主命、大国主命
■幸神社 産霊神、狭田毘古大神、奥津比古大神、奥津比賣大神
■辨天社 辨財天女、大楠稲生大明神、楠春稲生大明神
慶長19年(1614)11月26日に起きた大坂冬の陣「鴫野・今福の戦い」は、今の城東区域が戦場になり、八剱神社の鎮座する鴫野村には徳川方の上杉景勝が布陣したと伝わります。
上杉景勝さんかな?
徳川幕府が新たな大坂城の再建を始めた際、鴫野村は各地から運ばれた石材の集積場となりました。
境内には大坂築城用の刻印石が残されています。
西側の鳥居下には通行止めのコーンが置かれていたので、ぐるりと回ってきました。
ここからは写真を撮ったり、ご本殿を眺めたりしていたら・・・!
「ゴン!!」っと、境内から大きな音が聞こえてきました。
鳥居外から境内を見てみると・・!!
なんと!
大きな枝が木から落ちてきていました!!
それも、かなり大きめの枝です!!
なんてタイミングなんだ!?笑
西側鳥居前の城東小学校校庭には「大坂冬の陣」の記念碑があります。
この辺りが鴫野古戦場跡なのですね。
さてさて。
この記事を書くに辺り、「八剱神社」と検索すると、「八剱神社 大阪 タイムリープ」と出てきます。
記事を読んでみると、この神社でタイムリープを体験された方がいらっしゃるとか!
タイムリープの聖地と言われているようです。
アクセス
【所在地】大阪府大阪市城東区鴫野東3-31-8
【御朱印】なし。「大坂の陣ゆかりの地 朱印めぐり」の冊子には押印して頂けます。
【アクセス】JR・大阪メトロ今里筋線「鴫野駅」下車、東へ400m。
【駐車場】大鳥居の横にあり。
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