西葛城神社(貝塚市) 一村一社令が生んだ歴史が息づく統合神社【御朱印】

西葛城神社(にしかつらぎじんじゃ)は大阪府貝塚市木積に鎮座しています。

西葛城神社は、1910年に木積村にあった「深谷神社」に合祀され、「深谷神社」という名称も「西葛城神社」と改められました。

深谷神社は、西暦726年に創建された「木積観音寺」の鎮守として祀られていて、西暦1010年に再建の記録が残っています。

 

 

さらに、1917年(大正6年)には、かつて楠神社があった地(現在の場所)に遷座され、楠神社を相殿として祀るようになりました。

御祭神は、なんと!23柱もの神様!!

明治時代に旧西葛城村の全神社を合祀されましたで、たくさんの神様が鎮座しておられます。

こんなにたくさんの神様がおられるのだから、きっとあなたの願い事を担当して下さる神様がいるはず!笑

境内にある杉の木の空洞には、お地蔵さまが七体鎮座していて、秘かなパワースポットとなっているようです。

それでは、西葛城神社へと参りましょう。

 

 

境内

 

 

明治43年(1910)、深谷神社などこの地域の神社を合祀したもので、大国主命、菅原道真を祭神とする。

この地には、もともと楠本神社と呼ばれる社があったが、楠木正成が湊川で戦死した際、この地の豪族松浦氏がこれを悼み、かたわらに楠(くすのき)神社を設立したと伝えられている。

深谷神社は木積村の氏神であり、7世紀に建てられた観音寺の鎮守として、まつられていたものと思われる。

拝殿の前に立つ2本の杉は、”駒つなぎの杉”と呼ばれている。

 

 

昭和30年頃の写真には2本の杉の木がありました。

 

落雷によって枯れてしまい、現在はこのようなお姿になっています。

 

 

手水

 

 

行基と木積

西葛城神社の境内から望む木積の集落を含んだ貝塚市の山手地域は、緑豊かな山林が広がり、古くから良質な材木を産出する地域でした。

行基が進めた寺院の造営や土木事業などにも、木積の材木が使われたと記録が残っています。

 

 

拝殿

明治時代に旧西葛城村の全神社を合祀したため、多くの神様が鎮座しておられます。

 

【御祭神は23柱】

・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
・大国主命(おおくにぬしのみこと)
・大巳貴命(おおなむちのみこと)
・須佐之男命(すさのうのみこと)
・建御雷命(たけみかづちのみこと)
・八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)
・布津主命(ふつぬしのみこと)
・天児屋根命(あまごやねのみこと)
・菅原道真公(すがはらみちざねこう)
・日本武命(やまとたけるのみこと)
・幾理姫命(くくりひめのみこと)
・品陀別命(ほむだわけのみこと)
・楠木正成公(くすのきまさしげこう)
・徳川家康公(とくがわいえやすこう)
・火之迦具土命(ほのかぐつちのかみ)
・伊邪那岐、伊邪那美命(いざなぎ、いざなみのみこと)
・少彦名命(すくなひこなのみこと)
・福井戸神(ふくいどのかみ)
・大山つみ命(おおやまつみのみこと)
・表筒男命(おもてづつおのみこと)
・中筒男命(なかづつおのみこと)
・底筒男命(そこづつおのみこと)
・高麗神(たかおがみのかみ)

 

 

拝殿の中は厳かな空気が流れていました。

 

 

西葛城神社と楠神社の扁額

現在、西葛城神社のある場所には、もともと楠本神社と呼ばれる社がありました。

楠木正成が湊川で戦死した際、この地の豪族である松浦氏がこれを悼み、傍らに楠(くすのき)神社を設立したと伝えられています。

当時、 松浦氏には跡継ぎが無く、 この「楠大明神」に祈願したところ「男の子」が生まれたとの伝承から、 「子授けの神」として知られており、江戸時代には遠く「兵庫」や「新宮」あたりからも参詣者があったようです。

 

 

本殿

正面本殿(中央)の建物は元白山権現社の建物で、元木積村の西山神社の建物を流用しています。

 

右側にある石のお社には八幡宮の文字が見えます。

 

 

境内にある杉の木の空洞を覗いてみますと!

 

お地蔵さまがいらっしゃいました♪

情報によりますと、お地蔵さまが七体鎮座されているとのこと。
いつの頃からか、パワースポットとなっているようです。

 

 

忠魂碑

 

 

社務所

 

 

参拝動画

 

 

 

御朱印

 

 

 

アクセス

 

【所在地】貝塚市木積2273

【駐車場】あり(鳥居の向かい側、社務所前にあります。4~5台可)

【お手洗い】あり(社務所横にあります)

【交通アクセス】水間鉄道「水間観音」駅より東へ1km

 

西葛城神社公式サイト

 

 

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