柴籬神社(松原市) かつて都があった地に鎮座する歯の神様【御朱印】

柴籬神社(しばがきじんじゃ)は、大阪府松原市に鎮座されています。

開運松原六社参り(阿保神社・阿麻美許曽神社・我堂八幡宮・柴籬神社・布忍神社・屯倉神社)の一社。

社伝によりますと、6世紀前半に24代仁賢天皇の勅命で創建されたと伝えられています。

御祭神は、18代反正天皇(はんぜいてんのう)・依羅宿禰(よさみのすくね)・菅原道真公(すがわらのみちざね)。

反正天皇は美しい歯並びであったことから、歯の神様として信仰されている日本でも珍しい神社です。

それでは、柴籬神社へと参りましょう。

 

境内

 

南門

南門は明治初年まであった神宮寺「広場山観念寺」の山門です。

 

 

南門横には「反正天皇柴籬宮址」の碑

神社のある場所には、5世紀前半、かつて反正天皇の都とした丹比柴籬宮(たじひしばがきのみや)があったとされています。

 

 

ご由緒

 

 

手水舎

 

 

境内はとても清々しく、気持ちが良いです。

 

 

拝殿

御祭神は、18代反正天皇・依羅宿禰・菅原道真公

江戸時代には、「広場の杜」とか「天満宮」とも呼ばれていました。

 

 

拝殿左側から、田座神社(式内社)へ行けるようになっています。

 

が、まさかの田坐神社の写真がない(-_-;)

シャッター押したんだけどなぁ。

 

田坐神社は、明治四十一年(1908年)に神社合祀令により「柴籬神社」の境内に遷座されましたが、昭和六十年(1985年)に旧地(松原市田井城)に復興しました。

現在も柴籬神社境内社として「田坐神社」が鎮座していて、二ヶ所で「田坐神社」が鎮座している形となっています。

 

 

ご本殿

 

 

住吉社(歯神社)

住吉社(歯神社)には、「ちちかみばし伝説」が残されています。

 

少し長くなりますがご紹介しましょう。

 

上田1丁目の松原郵便局前に、正面には「ちちかみはし」、両側面に「長尾街道」、裏面に「明治四十三年二月修繕、大阪府」と彫られた道標があります。

 

堺と大和を結ぶ長尾街道に建てられたモニュメントですが、「ちちかみはし」の名に興味をそそられる人も多いのではないでしょうか。

 

「ちちかみはし」には、次のような悲しい伝説が残されています。

 

「遠い昔、京から来た高貴な身分の母親が愛児に乳房を含ませていました。子どもは母親の乳に満足してスヤスヤと眠っていましたが、急にむずかり、口に含んでいた乳房を歯でかみきってしまいました。このため、母親は愛児を抱いたまま亡くなったのです」

 

新堂1丁目の松原中学校方面から北流してきた今井戸川は、近鉄河内松原駅の西側線路をくぐります。やがて、上田1丁目の長尾街道にぶつかる字「中門」で西流する本流と東流する支流に分かれていきます。

 

江戸時代、「中門」には堰樋が設けられていました。そこは、阿保村の海泉池から三宅村の大海池に至る用水の取水掛口でした。東と西に分岐する水流の堰高を定める享和元年(1801)7月の分量石がいまも残されています。灌漑領域の上田村や三宅村の人々が立ち会って決めた碑文も見られます。

 

「中門」から西へ200メートル進むと先の道標があり、ここに「ちちかみはし」が架けられていたのです。愛児が母親の乳房を歯でかみきった所でしたので、橋の名となりました。

 

川は街道に平行する南側では暗渠となっていますが、松原警察署の東側からは北へ向きを変えます。

「ちちかみはし」の悲しい伝承は、のち人々の哀れをさそいました。

 

「ちちかみはし」と「中門」の真ん中、街道の南側に住吉神社が祀られていました。

 

同社は、上田村反正山地区の氏神ですが、村人は祭神の住吉大神と共に、亡くなった母親や乳をかみきった愛児を歯神として同社に合祀したのです。このため、住吉神社は歯神社ともよばれるようになりました。

 

 

明治初年に住吉神社(歯神社)は、柴籬神社に合祀され、現在は社務所の真向いに祀られています。

御祭神の反正天皇(瑞歯別命)が歯と健康の神様であったという事も由縁の一つだったと考えられています。

 

 

歯神社の前には、「歯磨面」があります。

歯の面を指先で触って健康と丈夫な歯でありますよう祈念します。

「八」にちなみ、毎年8月8日夜8時8分から祭典が行われます。

 

 

稲荷社(稲荷大神・勝手大神)

 

 

大歳社

 

 

遙拝所(伊勢神宮)

 

 

絵馬堂

絵馬堂は、かつての神宮寺であった広場山観念寺の遺構。

絵馬堂には「楠公の桜井の子別れの図」や、「武田信玄・上杉謙信の川中島の戦いの図」、「加藤っ清正の虎退治の図」などが掲げられています。

 

武田信玄・上杉謙信の川中島の戦いの図

 

丹比柴籬の宮古図

 

「反正天皇ゆかりの地紀行」パネル

 

 

河内大塚山古墳石室材の手水鉢

とても大きな手水鉢です。

柴籬神社から東方に河内大塚山古墳が6世紀中頃~後半に築造されました。

古墳上に祀られていた天満宮が柴籬神社へと合祀され、手洗石に転用された石室材が移されました。

 

 

井原西鶴の句碑

江戸時代前半の著名な俳諧師・小説家である井原西鶴は、幾度となく参詣されたようです。

 

「柴籬宮 むくけうへてゆふ柴垣の都哉」

柴籬神社で白色の花を咲かせた木槿(ムクゲ)の木を詠んだものです。

 

 

境内には梅の花が咲いていました。

 

 

動画

 

 

 

御朱印

 

 

 

アクセス

 

【所在地】大阪府松原市上田7丁目12番22号

【交通アクセス】近鉄南大阪線 河内松原駅 南へ徒歩8分

【駐車場】参拝者無料駐車場あり。

柴籬神社公式サイト

 

 

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