東大寺・二月堂(奈良) 「お水取り」で有名なお堂【御朱印】

三昧堂(四月堂)から二月堂に移動してきました。

二月堂は、奈良時代(8世紀)創建されました。

寛文7年(1667年)、修二会の満行に近い2月13日に失火で焼失。

現存する二月堂は、その直後の寛文9年(1669年)、江戸幕府の援助を得て、再建されたもので、国宝に指定されています。

 

二月堂のご本尊さまは大小2体あり、いずれも十一面観世音菩薩です。

1体は内陣中央に安置され、「大観音」(おおがんのん)と呼ばれ、もう1体は厨子に納められています。

大観音・小観音ともに絶対の秘仏で、修二会の法要を務める練行衆さえもその姿を見ることは許されないそうです。

 

 

境内

 

手水舎

 

建物は傾斜地に前半部分がせり出すように建てられています。

床下に組んだ柱で建物を支える建築で、懸造(かけづくり)といいます。

懸造は清水寺、石山寺、長谷寺などの観音を本尊とする寺の本堂にみられ、観音さまが南海の補陀洛山に住むという経典の所説に基づいているのだそうです。

人々の幸せを願う行事、お水取り(修二会)は、ここ、二月堂正面の舞台から観客に向けて火の粉を撒き散らします。
二月堂の舞台が火に包まれるような光景は圧巻です。

 

二月堂の裏にぐるっとまわってきました。

心地良い風が通り抜けて、とてもいい場所を発見です。

上部に様々な絵が掲げてありました。

その中の一つの絵がすごく気になったのです。

この絵はもしかして・・?

よく見ると「良辨僧正親子對面之〇」と書いてあるようです。

これは、もしかして、「良弁杉」で有名な、良弁僧正(ろうべんそうじょう)が母と対面した時の絵ではないでしょうか?

良弁僧正の後ろに書いてある木はもしかして・・杉!?

ここで、「良弁杉」のお話について、簡単に書きますと・・。

良弁は東大寺初代別当を務めた僧正です。

良弁僧正は、子供の頃、母親が目を離した隙に鷲にさらわれてしまいます。

奈良の二月堂前の杉の木に引っかかっているのを僧の義淵に助けられ、僧として育てられます。

その良弁僧正がひっかかっていた杉が「良弁杉」と言われています。

子供が鷹にさらわれ、狂気して諸国を流浪する母親。

あるとき二月堂境内の杉の大木に、30年前鷲にさらわれた子供を捜していると貼紙をします。

毎日、春日大社に参詣し、その帰りに自分が拾われた杉の木に立ち寄り、「親に会えますように」とお祈りしていた良弁僧正。

ある日、春日大社参詣の帰り、その貼紙を見つけます。

その貼紙をした主を尋ねると、年老いた女乞食が現れました。

良弁僧正の母親は、貴族の奥様でとても高貴な方でしたが、子供がさらわれ、狂気して諸国を流浪している間に乞食のようなみすぼらしい姿になってしまっていたのです。

話の内容と証拠の品から、女乞食は良弁僧正の母親であることがわかり、涙の対面を果たします。

めでたし・・めでたし・・というようなお話です。

 

現在の良弁杉は三代目で、東大寺境内にある子安神社には、良弁僧正の母が祭祀されています。

このお話は、文楽・歌舞伎の両方で上演されている有名な演目なのですが、実在した良弁僧正の史実であるかは定かでないそうです。

 

二月堂の向かいにある開山堂(かいさんどう)には、良弁僧正坐像が祀られています。

良弁忌の12月16日のみ良弁僧正坐像が秘仏開扉され、拝観することができます。

 

登廊

 

登廊を出て、左手に歩いて行きますと、「閼伽井屋(あかいや)」があります。

この閼伽井屋は、修二会に際し毎年三月十二日(十三日午前一時過ぎ)に、この屋内にある井戸より本尊十一面観世音菩薩にお供えする御香水(おこうずい)を汲む儀式を行う所です。

天平勝宝四年(七五二)実忠(じっちゅう)和尚が二月堂で初めて修二会を行い諸神を勧請した際、若狭国の遠敷(おにう)明神が献じたものであることから「若狭井(わかさい)」とも呼ばれています。

現在の建物は、十三世紀初期(鎌倉時代初期)に再建されたものであるようです。

 

「閼伽井屋」近くの溝で、沢ガニを発見!

見つけても捕獲しないようにお願いします。

 

 

御朱印

 

 

 

動画

 

(2022年5月撮影)

 

 

アクセス

 

【所在地】奈良県奈良市雑司町406-1
【御朱印】あり
【入堂料】なし
【駐車場】なし。県営駐車場が利用できます。

東大寺二月堂 公式サイト

 

 

 

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