高松神明神社(京都) 智恵を授けてくれる真田幸村公の念持仏!素敵な御朱印も!

高松神明神社(たかまつしんめいじんじゃ)は京都府京都市中京区に鎮座されています。

御祭神は、天照大神、八幡大神、春日大神。

通称、神明さん(しんめいさん)とも呼ばれています。

御由緒略記によりますと、延喜十四年(九一四)醍醐天皇の十番目の皇子として、高松親王がお生まれになり、延喜二十年(九二〇)七歳の時、源朝臣の姓を賜り、左京の三条三坊に邸宅として「高松殿」を御造営になりました。

同時に、伊勢から天照大神を勧請して、鎮守の杜として祀ったお社が「高松神明神社」の始まりとされています。

まもなく創建一千百年を迎える古社です。

では、高松神明神社の歴史と共に、ご案内しましょう。

 

 

歴史

 

鳥居の横には、「此付近 高松殿址」の碑があります。

高松公の末娘である明子(たかまつどの)が藤原道長と結婚され、高松殿をお住まいにされていました。

その後、藤原一族の方が住んでおられました。

康和四年(一一〇二)、白河上皇が藤原顕季(あきすえ)の高松殿にお遷りになり、しばらく「上皇御所」となりました。

また、保元の乱では、「後白河上皇方の本拠地」となり、源義朝や平清盛が参集して、崇徳上皇方の白河北殿へ攻め込みました。

保元三年(一一五八)、後白河天皇は、高松殿を「院御所」とお定めになります。

その後、平治の乱(一一五九)で、「院御所」は焼失してしまいましたが、邸内に祀られていた鎮守杜は「高松神明」として残ります。

その後、鎌倉時代後期に廃宮となり、「高松神明神社」のみが残されました。

 

・・・っと、まぁ、高松神明神社の歴史を簡単に書いてみましたが、なんて歴史のある場所なんだろう!・・っと、改めて思いました。

 

その後、室町時代、安土桃山時代、と時代を下るに従って、火災に遭ったりと境内地が縮小されて行きます。

明治四十四年(一一九一)現在の社殿が造営され、現在に至ります。

 

 

境内

 

現在の境内は狭いですが、古くは公爵や名将の信仰も大変篤く、境内は大変広かったようです。

 

末社などに関しましても、稲荷神社、天満宮(洛陽二五社の一社)、不動明王、弘法大師、神明地蔵尊、金比羅神社等がありましたが、元保元年(一八六四)七月十九日の蛤御門の変による大火で地蔵尊の他はことごとく焼失してしまいました。

 

 

真田幸村公の念持仏とは?

 

では、ただ一社だけ残ったという、神明地蔵尊をご紹介しましょう。

高松神明神社の見どころは、真田幸村公の念持仏であるという「神明地蔵」でしょう。

寛政六年(一七九四)、高松神明宮宝性院の社僧が、紀伊国(和歌山県)九度山の真田庵に安置してあった真田幸村の念持仏を拝領して持ち帰り、三間四面の地蔵堂を建て、「幸村の知恵の地蔵尊」としてお祀りしました。

剃髪した衣姿の僧形地蔵で、右手に錫杖、左手に如意宝珠を持っておられます。

旅姿は六道(地獄道、飢餓道、畜生道、阿修羅道、人道、天道)という輪廻の苦しみの世界を廻って人々を救済されるといわれています。

地蔵堂の台石をさすり、子供の頭をなでると知恵を授かると信仰されています。

 

 

高松神明神社 御朱印

 

 

 

アクセス

 

【所在地】京都府京都市中京区姉小路通釜座東入る津軽町790
【御朱印】あり(書置きを拝受しました)
【駐車場】なし。
【アクセス】京都バス61・62・63系三条京阪前から新町御池 徒歩2分。地下鉄烏丸線烏丸御池 徒歩5分