満願寺(湯浅) 醍醐寺の金堂はかつて和歌山県湯浅町にあった!

醤油の醸造で有名な和歌山県有田郡湯浅町は、熊野古道があり大変歴史深いところです。

「醍醐寺(京都)の金堂は、かつては湯浅町にあったんだよ!」って教えてくれたお友達が案内してくれたお寺は「満願寺」。

現在は小さなお寺のようですが、かつては七堂伽藍が立ち並び36坊もある大霊場であったようです。

それでは、満願寺へと参りましょう。

 

境内

 

 

本堂

 

 

熊野古道にひっそりと佇む満願寺。

 

私は本堂前にあった「満願寺縁起」に釘付けとなってしまいました。

 

満願寺縁起によりますと、白河法皇の勅願所として満願寺は創建されたとあります。

で、大変興味深い記述がここ↓にありました。

 

豊臣秀吉が満願寺の本堂を醍醐寺へ移したとあります。

そして、御本尊は高野山へ、仁王は熊野那智山へ引き移せり・・と。

「奥の院を別所山薬師院勝楽寺という」と記述されているので、満願寺の奥の院であった勝楽寺の本堂を移築したということなのでしょう。

 

本堂がどの場所にあったのかは今でもよく解っていないようですが、湯浅町にあったのは確かな事。

たくさんの人の祈りが込められた湯浅町にあったお堂は、世界遺産である醍醐寺に引き継がれ、現在もたくさんの人が祈るお堂として時を積み重ね続けているという事を思うと感慨深いです。

 

 

醍醐寺の金堂

 

 

湯浅町にあった本堂は解体され船に乗せられて、淀川、山科川を経て醍醐寺までたどり着きました。

豊臣秀吉が「醍醐の花見」の為に移築を命じたのですが、秀吉は金堂の完成を見ることなく死去。

その後は息子の豊臣秀頼に引き継がれ、慶長5年(1600年)5月3日工事が完了します。

湯浅町では、工事が完了した5月3日を移築記念日とする「醍醐寺金堂の移築記念日条例」が平成26年に制定されました。

 

 

 

アクセス

 

【住所】和歌山県有田郡湯浅町大字湯浅1334-1

 

【電話番号】0737-62-4070

 

【アクセス】JR紀勢本線湯浅駅下車徒歩約1分。

 

 

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