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志貴御縣坐神社(しきのみあがたにますじんじゃ)は、奈良県桜井市金屋に鎮座されています。
『延喜式神名帳』にある「志貴御県坐神社(大和国・城上郡)」に比定される式内社です。
御祭神は式内社調査報告によると大己貴神(おおなむちのかみ)となっていますが、神武天皇が奈良大和に東征してきた頃、この地の王であった饒速日命(にぎはやひのみこと)ではないか?
また、日本書紀・神武紀に「弟磯城(オトシキ)-名は黒速(クロハヤ)を、(橿原宮で即位したとき)磯城(志貴)の県主とされた」とあることから、この地の有力豪族であった弟磯城が御祭神ではないか?
・・・等々、創建時期も不明なため、諸説は色々あるようです。
大和朝廷の時代、大和には6つの御県(みあがた)が置かれていました。
御県とは、天皇の御饌に供える蔬菜を栽培するために設けられた御料地(直轄領)のことです。
その6つの御県が高市、葛木、十市、志貴、山辺、曽布であると延喜式に記載されています。その内の1つがこの地、志貴御縣です。
この地に訪れる人はあまりいないようで、ひっそりとした雰囲気の神社です。
境内には古代祭祀の際に使用されたであろう積み重ねられた石があり、古い歴史を感じるというか、古代の匂いを感じることのできる素敵な神社でした。
神社境内には、崇神天皇磯城瑞籬宮跡(すじんてんのうしきみずがきのみやあと)の石碑があります。
この辺りは、第十代崇神天皇皇居があった場所です。
第十代崇神天皇皇居と言えば、倭大国魂大神(やまとのおほくにたまおおかみ)と天照大御神が最初におられた場所です。
皇居(磯城瑞籬宮)を出られた天照大御神は,皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に奉仕され、倭笠縫邑(檜原神社に比定)に最初にやってこられます。
その後、豊鍬入姫命のあとを継いだ倭姫命(やまとひめのみこと)に奉仕され、各地を転々とされます。
磯城瑞籬宮を出られておよそ90年後、伊勢神宮に鎮座されることになります。
また、倭大国魂大神はは皇女渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)を斎主として磯城瑞籬宮を出発されますが、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなります。
大倭直の祖・市磯長尾市(いちしのながおち)が後を継ぎ、大和神社に鎮座されることにになります。
その2柱の神様のご出発地がこの辺りだったと思うと、とても感慨深いです。
【所在地】奈良県桜井市金屋
【御朱印】あり。三輪恵比須神社にて拝受できます。
【駐車場】なし。