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- 和歌山のお寺 - 伊都郡

和歌山県九度山にある善名称院(ぜんみょうしょういん)へ行ってきました。
善名称院は、真田昌幸・信繁(幸村)親子の蟄居時代の草庵跡と伝わる場所で、別名「真田庵」とも呼ばれています。
NHK大河ドラマ「真田丸」が放送されていた頃はたくさんの方が訪れていたようですが、今は訪れる人も少なくなっているようです。
それでは、真田昌幸・信繁(幸村)親子が住んでいたと伝わる「真田庵」へと参りましょう。
真田庵最寄りの九度山駐車場に車をとめてやって来ました。
塀が・・。
なんとなく寂れているのかな・・っという雰囲気も・・(;'∀')
歴史
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れた真田昌幸・信繁父子は、高野山に蟄居(ちっきょ)を命じられ、信州より高野山へとやってきました。
高野山での蟄居を命じられたのに、麓の九度山町で生活する事になったのかについては、信繁が妻を連れてきた(高野山は女人禁制)からとか、寒くて生活しづらかったとか、家臣を多く連れてきたからとか・・・諸説あるようです。
真田昌幸は九度山にて亡くなり、息子の信繁が昌幸の供養のために宝篋印塔を建てます。
息子の信繁は14年間九度山で幽閉生活を送った後、大坂夏の陣で討ち死。
その後、大安上人がこの地に来たとき、ここに善名称院を建てよというお告げを授かり、寛保元年(1741年)に真田屋敷跡に善名称院を創建しました。
境内
長屋門から入ります。
六文銭のお賽銭箱
真田家の家紋といえば六文銭は有名ですね!!
六文銭は六道銭とも言われ、六つの世界(地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天)を表しています。
また、六文銭は三途の川を渡る際の渡し賃とも言われていて、「いつ命を落としても三途の川を渡れるように、六文銭を常に身につけておく」という意味もあったようです。
上を見上げれば・・・鐘がっ!
土砂堂
大安上人は、盛んに土砂加持信仰を行い、清浄な小石を納める土砂堂を創建されました。
御本尊は弥勒菩薩。
現在の堂は、宝形造の三間堂で、江戸時代末期の建築です。
土砂堂の前には「おもかるいし」。
大安上人御廟(和歌山県指定有形文化財)
本堂(和歌山県指定有形文化財)
本堂の造りがとても変わっています。
善名称院は、大安上人が寛保元年(一七四一)に真田屋敷跡に伽藍を創建したのに始まると伝えられている。
本堂は、南の本堂部分と北の庫裏部分を繋ぐ相の間から構成され、複合建築の平面形式である。本堂部分の内陣では北向きに作法するが、外陣の参拝者は西向きに礼拝する特殊な形式である。更に立面的には本堂全体の上部に二階建の大きなツシが直交して載るという他に例のない複雑な構造である。古記録と鬼瓦の銘から安政四年(一八五七)に再建され、他に例のない複雑な平面と構造を持ち、伽藍の中枢をなす貴重な建造である。
御本尊は延命子安地蔵菩薩
本堂外陣には、びんずる尊者
真田地主権現
幸運の神、地主権現として敬い祀る社で、真田家の宝物である毘沙門天と真田家三代の御霊を合祀したものです。
昔から福徳を授け給う運の神として霊験あらたかであると伝えられています。
隣には昌幸のお墓があります。
伝・真田昌幸の墓(九度山町指定史跡)
雷封じの井
慶長年間幸村公が閉居中、真田屋敷に落ちた雷をとりおさえて井戸に封じ里人の難を救ったと伝えられています。
境内に真田幸村が父昌幸を供養するために植えた松の木がありました。
現在の松の木は二代目であるそう。
二代目松の木は境内にすくっ!っと聳え立っています。
北門(九度山町指定有形文化財)
※2024年11月再訪。この記事の写真は2020年・2024年のものが混在しています。
御朱印
御朱印はセルフで頂く形式です。
戸をガラガラ・・っと開けて中に入ると、御朱印・御朱印帳・お守りなどがあります。
アクセス
【所在地】〒648-0101 和歌山県九度山町九度山1413
【TEL】0736-54-2218
【拝観時間】9:00~16:00
【拝観料】無料(ただし、真田宝物資料館は200円)。
【お手洗い】あり。
【駐車場】近くに九度山駐車場・公営駐車場あり(無料)。
【交通アクセス】南海高野線九度山駅から徒歩10分。
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