関西の寺社めぐり

叡福寺(太子町) 聖徳太子の御廟がある寺院【御朱印・オリジナル御朱印帳】

叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町にある仏教寺院です。
聖徳太子の御廟があることで知られています。

山号は磯長山(しながさん)、ご本尊は如意輪観音。

叡福寺は、「上之太子」とも呼ばれ、「中之太子」と呼ばれている野中寺(羽曳野市)、「下之太子」と呼ばれている大聖勝軍寺(八尾市)とともに、三太子の一つに数えられている仏教寺院です。

それでは叡福寺へと参りましょう。

 

境内

 

 

叡福寺駐車場

 

 

 

南大門

 

 

南大門の仁王像

 

南大門の扁額は元総理大臣・岸信介の筆

 

 

手水舎

 

 

 

多宝塔(重文)

 


多宝塔は承応元年(1652年)に再建され、重要文化財に指定されています。
内部は釈迦尊像や大日如来像等が安置され、柱には四天王像が描かれているそうですが、非公開となっています。

 

 

金堂

 


享保17年(1732年)再建。

 

金堂前から見た境内

 

 

聖霊殿(重文)

 


1603年(慶長8年)豊臣秀頼により再建。聖徳太子16歳像が祀られています。

 

聖霊殿前から見た空がすごく美しかったです。

 

 

二天門

 

二天門をくぐると聖徳太子御廟がすぐに見えてきました。

 

 

聖徳太子御廟

 

御廟の背後は叡福寺北古墳(磯長墓)で、聖徳太子、太子の母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)、太子の妃・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が埋葬されているとされ、「三骨一廟」と呼ばれています。

聖徳太子は生前、推古天皇28年(620年)にこの地を墓所と定めたといわれています。

推古天皇29年(621年)、穴穂部間人皇女が没するとここに葬られ、翌年の推古天皇30年(622年)には、聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女が追葬されたと伝えられています。

 

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御廟の正面、扉の上に阿弥陀三尊のご来迎をあらわした木彫りの額がありました。
この額は叡福寺の玄雅が延享3年(1746年)に寄進したものとされ、三骨一廟の意味を表しています。
阿弥陀三尊
左から勢至菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩

 

聖徳太子御廟から右手に歩いて行きますと、お堂が並んでいます。

 

 

浄土堂

 

聖徳太子は仏教を日本に広め、仏教の興隆に尽力されました。
空海・良忍・親鸞・日蓮・一遍など新仏教の開祖となった僧たちも、墓所がある叡福寺に参籠したことが知られています。

 

 

見真堂

 


親鸞聖人自作の御尊像が祀られています。

 

 

良忍聖応大師磯長御廟

 

聖徳太子信仰の厚かった良忍聖応大師は、平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖です。
融通念仏宗の総本山である大念佛寺は日本最初の念仏道場です。

 

 

弘法大師堂

 

 

弘法大師像

 

 

科長岡神社

 

 

 

 

宝篋印塔

 

聖徳太子御廟の横から五字ケ峯に登ってみました。

 

弘法大師がめぐらせたという結界石を見ながら登って行きます。

 

結構登ってきました。

振り返ってみますとこんな感じです。

 

頂上には宝篋印塔があります。

正保年間(1644~1648)に建てられた宝篋印塔で、結界石がめぐらせてありました。

 
 

動画

 

(2021年撮影)

 

 

聖徳太子1400年御遠忌大法会へ行ってきました♪

(2021年4月撮影)

 

御朱印帳

 

色の種類は5種類あります。

 

 

御朱印

 

河内飛鳥古寺霊場第15番 御朱印

 

叡福寺 御朱印

 

聖徳太子霊跡6番 御朱印

 

聖徳太子鑽仰まほろばの会 御朱印

 

 

アクセス・拝観料

 

【所在地】大阪府南河内郡太子町太子2146
【御朱印】あり。
【札所】新西国三十三箇所客番・仏塔古寺十八尊第2番・聖徳太子霊跡6番・河内西国三十三箇所21番・神仏霊場巡拝の道第57番・河内飛鳥古寺霊場第15番
【拝観料】無料、境内自由。
【駐車場】参拝者無料駐車場あり。

叡福寺公式サイト

 

 

 

周辺スポット

 

 

 

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