慈尊院(じそんいん)は、和歌山県伊都郡九度山町にある高野山真言宗の寺院です。
弘仁7年(816)に弘法大師が高野山を開かれる際、庶務などを司る政所として玄関口であるこの地に慈尊院は建てられました。
慈尊院は2004年7月、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されています。
初めて訪れた慈尊院は、弘法大師の母公を祀るお墓(弥勒堂)があり、昔は女人禁制であった高野山に上がれなかった女性の信仰を集めた聖地であるように感じました。
それでは慈尊院へと参りましょう。
目次
弘法大師の母公 弥勒さま
弘法大師の姿を一目見たいと弘法大師の母公は香川県からやって来られましたが、高野山は女人禁制の場所。
母公の身体を心配された弘法大師は、母公をこの寺に留まらせました。
弘法大師は高野山より月に九度、このお寺にいる母公の元を訪れられたことから、「九度山」という町名になったと伝わります。
承和2年(835)2月5日に母公は83歳でこの世を去られました。
弘法大師はこの寺に母のお墓を建て、弥勒菩薩を安置されました(弥勒堂)。
ご住職さまにお話を伺った所、弘法大師の母公のことを「弥勒さま」と呼ばれているそうです。
見どころ
慈尊院ご利益マップ
社務所で頂くことができます。境内マップと一緒に仏さまのご真言も書かれていますので、これを見ながらお参りするとバッチリです!
表門
表門から多宝塔が見えるショットは是非、写真に収めておきたいですね。
弘法大師堂
弘法大師を中心として四国八十八所の御本尊を祀ることから四国堂とも呼ばれています。
ここにお参りすれば、四国八十八所にお参りしたと同様のご利益が得られるようです。
有難いですね!
弘法大師母公の腰掛石
弘法大師堂の横に、弘法大師の母公が腰を掛けていたと伝わる「腰掛石」があります(写真左)。
許梨帝母(カリティ母) - 鬼子母神
お姿は、天女の形 右手に吉祥果(ざくろ)を持ち、左手に子供を抱いている。ご真言は「オン トドマリ ギャキティ ソワカ」 ご利益は子育て、安産、子供いじめの解消、子供安全です。お釈迦様の時代に、鬼子母神が五百人とも千人とも云われる子を産み、子供を育てるため、他の子供をさらって、その子供を食べていました。食べられた子供の母親たちは嘆き悲しみ、お釈迦様にお願いしたところ、鬼子母神の子供を一人隠されました。初めて母親たちの悲しみを知り、それからよき母となったとされ、秋にはざくろをお供えします。
弥勒堂(鎌倉時代・重文)
御本尊は弥勒菩薩(平安時代・国宝)
国宝・弥勒菩薩像は二十一年に一度のみご開帳されます。
弥勒堂自体が弘法大師母公のお墓となっています。
みろく石
弥勒堂の前にあるこの石を左手で撫でると、御本尊の弥勒菩薩さまとご縁が結ばれます。また、石を撫でた手で病気やケガの所を撫でると良くなると言われています。
乳房形絵馬
安産祈願や乳がんなどの病気平癒等々、女性の願いが詰まった絵馬がたくさん奉納されていました。
多宝塔(県指定文化財)
拝堂(左)と弥勒堂(右)
弘法大師と高野山案内犬ゴンの碑
高野山案内犬ゴンは実際お寺で飼われていた犬です。
高野山まで片道24キロを歩いて登る方が迷わないよう8時間かけて道案内していました。
かつて弘法大師も高野山を開く際、犬に導かれたという伝説が残っています。
ゴンは大師さまを案内した犬の生まれ変わり?
ご住職さんのお話によれば、案内中に食事を与えようとしてもゴンは一切食べなかったそうです。
なんだか心打つお話ですね。
愛犬ゴンが亡くなった日は6月5日、弘法大師の母公が亡くなった日は2月5日。
奇しくも5日という同じ日に亡くなったというのもやはり何か縁(えにし)があるように感じます。
弁財天
弁財天さまの前には「みくじ石」
この石を一心に願いを込めて持ち上げて・・軽ければ願いが叶うとされています。
180町石
町石の始まりの1本目となる石が、慈尊院境内の丹生官省符神社へと向かう石段の横に建っています。
慈尊院が0として高野山根本大塔まで20キロ、そこから奥之院まで4キロの間、109m毎に町石が建てられています。
慈尊院 御朱印
拝観料・アクセス
【所在地】和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
【TEL】0736-54-2214
【拝観料】無料。境内自由。
【札所等】仏塔古寺十八尊第6番、神仏霊場巡拝の道第10番。
【御朱印】あり。オリジナル御朱印帳あり。
【駐車場】表門前にあり(少数台)。
【交通アクセス】南海高野線九度山駅から徒歩約25~30分(約1.5km)。
周辺スポット
慈尊院の近くには、関ケ原の戦いにより九度山に蟄居させられていた真田昌行・幸村親子が住んでいたという善名称院(真田庵)があります。
真田昌行・幸村親子も慈尊院に来ていたかも知れませんね。