大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ)は、大阪府八尾市にある高野山真言宗のお寺です。
山号は神妙椋樹山(しんみょうりょうじゅさん)と言い、開基は聖徳太子。
ここは1400年程前に崇仏派の蘇我馬子と、廃仏派の物部守屋が戦った場所と伝えられています。
崇仏派の蘇我馬子に組した聖徳太子が排仏派の物部守屋との戦いで「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」(日本書紀)と祈願して戦勝したことから、四天王寺を建立するとともに、大聖勝軍寺の太子堂を建立されました。
それでは、大聖勝軍寺へと参りましょう。
大聖勝軍寺は聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺(太子町)の「上の太子」、野中寺(羽曳野市)の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれています。
境内
山門
大聖勝軍寺は交通量が多い道路沿いにあるのですが、山門をくぐり、一歩中に入ると、静寂な空間が広がっていました。
鐘楼
大聖不動明王
こちらのお不動さまが凄い迫力でビックリです!!
毘沙門堂
聖徳太子は物部守屋との戦いの際、信貴山に毘沙門天の化身が現れたことにより、神業の働きをします。
太子は毘沙門天像を2体刻み、1体を信貴山朝護孫子寺に、もう1体は大聖勝軍寺に奉納して毘沙門堂を建立したと伝わります。
本堂(太子堂)
ご本尊は「木造二臂如意輪観音思惟半跏像(もくぞうにひにょいりんかんのんしいはんかぞう・府指定文化財)」で、寺宝も多くあります。
地蔵堂
救世観世音菩薩像
平和塔
敵将物部守屋尊像と聖徳太子十六歳像を敵味方の区別なく安置し、和の心を後世に伝えています。
神妙椋樹(聖徳太子を救った椋の大木)
仏教伝来をめぐり、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋が対立し、当時十六歳の聖徳太子も自ら兵を率いて参戦しました。
大軍に包囲され絶体絶命の窮地に陥ったその時、椋の大木が真っ二つに割れ、その幹の空洞に身を潜めた太子は九死に一生を得たと伝わります。
椋の御神木の中には、幹の空洞に身を潜める聖徳太子像が見えます。
弘法大師修行尊
撫五鈷杵
たくさんの方に撫でられた証がっ(笑)
私も撫でさせて頂きました。
なにげに見ていると、「独鈷錫杖まわして一番からおまわり下さい。」と書いてあるのを発見!
おお!独鈷錫杖を回すといい音がっ♪
独鈷錫杖をまわして一番からまわると、四国八十八ヶ所霊場のご利益が頂けるようです。
弘法大師像の後方には、古銭で作られたミニチュア塔がありました。
十三塔古銭供養塔(左)、高野山根本大塔(右)、法隆寺五重塔(左奥)
面白いですね~♪
古銭をよく見ると、「寛永通寶」って書いてあります。
左奥にあった法隆寺五重塔が凝ってまして・・・。
転法輪?を回すと・・グルグル回ります!笑
山門前にある「守屋池」
物部守屋の首を洗ったと伝わります。
動画
御朱印
御朱印は庫裡で頂きました。
「ご用の方は半鐘を鳴らして下さい。」とあったので、カーン!・・っと。
河内飛鳥古寺霊場の御朱印を頂きました。
はさみ紙にも暖かい御心を感じます。
朝顔と彼岸花ですね。
大切に取っておこう♪
物部守屋大連墳
大聖勝軍寺より東へ100mほどの場所に、物部守屋のお墓があります。
神道信仰を貫き戦った物部守屋のお墓の周りには、神社からの玉垣が並んでいます。
鏑矢塚(かぶらやづか)
鏑矢塚は、守屋を射た矢を埋めたと地と伝えられています。
用明二年(587)に厩戸皇子(聖徳太子)をはじめとする皇子達と蘇我馬子らは、渋河の地で物部守屋の軍勢と戦います。
稲城を築き、榎木の上から弓を放つ守屋に苦戦した皇子らは三度退却しますが、四天王に祈願すると迹見赤檮(とみのいちい)の放った矢が守屋を討ち、皇子と馬子らは勝利したと「日本書紀」に記されています。
ここに物部守屋を射た矢を埋めたと「大聖勝軍寺略縁起」(1455)は伝えています。
アクセス
【所在地】大阪府八尾市太子堂3丁目3-16
【電話】072-922-3000
【札所等】河内西国霊場第1番、聖徳太子霊跡第2番、河内飛鳥古寺霊場第3番、河内飛鳥七福神(毘沙門天)
【駐車場】参拝者無料駐車場あり。山門前にあります。
【交通アクセス】近鉄大阪線八尾駅からバス「藤井寺駅」行きで「太子堂」下車すぐ。
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