千手寺(せんじゅうじ)は、大阪府東大阪市にある真言毘盧舎那宗のお寺です。
山号は恵日山(えにちざん)。
白鳳時代に役行者によって開創されました。
平安時代初期には弘法大師空海もこちらに泊まったと伝えられています。
それでは、千手寺へと参りましょう。
千手寺へは石切神社参道筋を歩いて行ってきました。
石切神社参道
石切神社参道を歩いて15分程でしょうか。
千手寺の入口(参道筋側)に到着です。
左手は千手寺北向延命地蔵、右手は三福神堂。
右手の三福神堂には毘沙門天、大黒天、弁財天が祀られています。
参道筋は賑やかですが、ここ千手寺の中にはいると別世界のように静かです。
縁起
今から千三百年程昔のこと、笠置山千手窟で修行していた役行者は、不思議な神光に導かれて生駒山を越えこの地に到りました。
岩上に草を敷き黙念する行者のまのあたりに千手観音が諸々の神祇を並び従えて姿を現わされました。そこでこの地を拓いてはじめて寺を建て、恵日山千手寺と題しました。
ためにこの寺を俗に呼んで光堂(ひかりどう)と称し、また里の名を神並村(こうなみのさと)と号するようになりました。
(千手寺パンフレットより抜粋)
境内
鐘楼
本堂
御本尊は千手観音。
千手寺の御本尊については伝説が残っています。
少し簡単にご紹介♪
平安時代の初めごろに弘法大師空海が千手寺に止宿された際、役行者の観音像を胸裏に納めた観音像を刻まれ、お寺の奥にお祀りになられました。
その後、いくばくもしないうちに惟喬(これたか)親王の乱にて堂宇ことごとく兵火にかかって炎上してしまいます。
そして、、その時に、千手観音さまは自ら深野池(鴻池新田あたりに位置した大きな池)に飛びこんだのだそうです!!
千手観音さま自らが池に飛び込んだことは誰も知らなかったようで、
その夜、天皇は在原業平(ありわらのなりひら)と共にこの山に逃れられ、その時に池から光が放たれているのを目撃されます!!
後日、在原業平がそのもとを訪ねて、千手観音を奉出し、天皇にその旨を伝えると、天皇は大変お喜びになり、在原業平に命じて千手寺を中興されました。
面白い伝説ですよね。
千手観音さまが自ら池に飛び込まれたなんて♪
現在、本堂におられる千手観音立像は南北朝時代正平十二年(1357)南都興福寺大仏師康成の造立です。
高さ190cm、カヤ材寄木造りのとっても大きな千手観音さまです。
護摩堂
現在は不動明王を安置していますが、もとは開山堂と称していました。永らく役行者をお祀りしていましたが、在原業平の廟所であったと伝えられています。
護摩堂近くには石造五輪塔があり、寺伝では業平の廟塔と伝えられています。
御祭神は、千手寺を中興された在原業平公、千手寺鎮守の菅原道真公。
こちらは弁天社かな?
弁天塚古墳
本堂裏に所在する古墳で六世紀後半の横穴式円墳。
全長9mをこえる規模の大きい古墳です。
寺の縁起では功徳天洞とも弁才天の洞ともいわれています。
※古墳のある場所に行く時は、お寺の方に一言お声をかけて下さい。
御朱印
石切参道筋のあれこれ
石切神社参道筋を歩いていると石切不動明王をお祀りしているお堂があります。
丁度、御祈祷をされている所に通りかかりました。
参道を歩く人達もしばし、足を止めて見ておられる様子。
御朱印もあるようです。
こちらは、淡嶋大明神をお祀りしている淡嶋神社
石切神社参道筋に淡嶋神社があったなんて!
女性を守護して下さる神様なので、女性にとってはうれしいですね♪
壁にこのような記載がありました。
この所には古来より有名な淡嶋神社を御祭り致しました(和歌山県海草郡加太町 現和歌山市)
淡嶋大明神は昔より女の方を御守護される神様(婦人病を始め其の他一切の病気、結婚、悩み事他すべて)として尊祟を受けて参った霊顕あらたかな神様です。
此の度、御導きを受け縁あってこの地に勧講致しましたのでお参りして素晴らしい御神徳が授かる様に御祈願致しませう。
石切大佛
明石焼きがおいしい「たこつぼ」
こちらのお店は日曜日には行列ができている大人気店です。
行くなら平日がおススメです。
大きな明石焼きが8個で600円。
ふんわりとろとろでとってもおいしいです♪
アクセス
【所在地】大阪府東大阪市東石切町3-3-16
【御朱印】あり。
【札所等】・河内西国霊場第10番・役行者霊蹟札所
【駐車場】あり。
【アクセス】・近鉄奈良線石切駅から徒歩5分・近鉄けいはんな線新石切駅から徒歩20分・石切神社より参道筋を歩いて約15分位。