飛鳥寺(あすかでら)は、第32代崇峻天皇元年(588)蘇我馬子が発願し、第33代推古天皇4年(596)に創建された日本最初のお寺です。
寺名は法興寺、元興寺、飛鳥寺とも呼ばれていました。
見どころは、何と行っても日本最古の飛鳥大仏でしょう。
ご本尊の飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は、推古天皇17年(609)、天皇が詔して鞍作鳥(止利仏師)に造らせた日本最古の仏像です。
それでは、日本最古の飛鳥大仏に会いに参りましょう。
境内
山門前に立つ飛鳥大仏標石
寛政4年(1792年)、飛鳥寺参拝者の道標として彫刻された石碑。
台石は、飛鳥寺が創建された際の礎石が使用されています。
万葉池
鐘楼
延享2年(1745)の建立。
本堂
文政9年(1826年)再建。
本堂の前には金堂の礎石が残っています。
ご本尊の飛鳥大仏(釈迦如来坐像)
高さは約3メートルで当時銅15トン、黄金30キログラムを用いて作られました。
平安・鎌倉時代の大火災で全身罹災され後補を受けましたが、概形には飛鳥彫刻らしい形をとどめ、細部にもかなりはっきりした飛鳥の特色を伝えています。
お寺の方にお話を伺った所、お顔の9割、身体の半分以上は当時のままであるそうです。
座っておられる場所も創建当時からの場所であるそうで、1400年もの間ずっと同じ場所に座り続け、私達を導いて下さっているのかと思うと、胸が熱くなりました。
日本最古の仏舎利
「推古天皇元年(593)正月15日埋納。鎌倉時代(1197)掘出シ舎利容器ニ移ス」と書かれてありました。
阿弥陀如来坐像(木造・藤原末期)
聖徳太子孝養像(木造・室町時代)
飛鳥寺伽藍復元図
近年の発掘調査によりますと、創建時の飛鳥寺は五重塔を中心とし、その北に中金堂、塔の東西に東金堂・西金堂が建つ日本最初の本格的寺院で、その外側に回廊をめぐらし、更に、講堂を含む壮大な伽藍であったようです。
思惟殿
新西国三十三箇所第9番札所で聖観音が祀られています。
地蔵尊
飛鳥寺西門跡と蘇我入鹿の首塚
飛鳥寺西門から出て、100メートル程先にある蘇我入鹿の首塚へ向かう途中に、かつての飛鳥寺西門跡があります。
飛鳥寺西門跡
創建時の西門は、礎石をおいて柱を建てた茅葺きの門で、間口3間11.5m、奥行2間5.5mの規模で、寺の四方に開いた門のなかでは、この西門が最も大きく、この辺りには、飛鳥の檜舞台、「槻の木の広場」があったようです。
この「槻の木の広場」で中大兄皇子と藤原鎌足は出会い、645年に乙巳の変が起こります。
この時、二人は飛鳥寺に陣をかまえ、西門から甘樫丘の蘇我入鹿・蝦夷の館をにらんでいたとか。
ちょうどこの辺りなのかも知れません。
飛鳥の歴史を見守ってきて西門跡です。
蘇我入鹿・蝦夷の館があった甘樫丘を背に建つ蘇我入鹿の首塚
入鹿の首塚と言われる五輪塔。
五輪塔は鎌倉末期から南北朝時代に築かれたと考えられていますが詳細は不明。
最古の史料は1751年(寛延4年/宝暦元年)の『飛鳥古跡考』に蘇我入鹿大臣石塔と記されているもので、現在に至るまで蘇我入鹿の関連遺跡とされてきました。
一説によりますと、飛鳥板蓋宮で斬りつけられた蘇我入鹿の首がここまで飛んできて、供養の為に建てたという説も。
飛鳥板蓋宮からここまで5~600メートルほどあるようですけど、そんなに飛びます?(笑)
色々と調べていましたら、こんな説もあるようです。
槻の木の広場の発掘調査によると、槻の木の広場はこの五輪塔の丁度西側にあったようです。
槻(ケヤキの古名)の木は、神が宿る槻であると神聖視されていたことから、もしかしたら、この五輪塔は槻の木の供養の為に建立したのではないか・・とも考えられているとか。
飛鳥の歴史ロマンは尽きませんね。
動画
御朱印
新西国三十三所霊場 第九番
聖徳太子鑚仰 まほろばの会
アクセス
【所在地】奈良県高市郡明日香村飛鳥682
【拝観料】大人・大学生:350円、高校生・中学生:250円、小学生:200円。
【御朱印】新西国三十三箇所第9番、聖徳太子霊跡第11番。
【拝観時間】午前9時~午後5時半。
【駐車場】有料駐車場あり。
【交通アクセス】近鉄橿原神宮前駅東口から周遊バスで「飛鳥大仏」下車スグ。
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