金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある金峰山修験本宗(修験道)の本山です。
開基は役小角、本堂である蔵王堂の御本尊は蔵王権現。
弘願寺を後にして、金峯山寺(世界文化遺産)に向かいました。
参道
銅(かね)の鳥居
室町時代に再建された銅製の鳥居で、日本三鳥居の一つです。
聖地への入口、俗界と聖地の境界を象徴する建造物で、大峰山上までの間に、修行(しゅぎょう)、等覚(とうかく)、妙覚(みょうかく)の3つの門があり、この鳥居は第一門で「発心門(ほっしんもん)」とも呼ばれていました。
東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)鋳造の際に余った銅で造ったという伝承がありますが、現存するものは室町時代の再興です。
額束は「発心門」
金峯山寺の開祖である役行者を祀った行者堂がありました。
銅の鳥居から歩くこと数分、金峯山寺の仁王門が見えてきます。
仁王門(国宝)
この仁王門はおよそ700年の間、南北朝戦乱の戦火に耐え、太閤秀吉の吉野大茶会を始めとして多くの歴史の舞台になりました。
仁王門を抜けると、吉野山歴史年表がありました。
天智10年(671)役行者が金峯山上(大峯山)で蔵王権現を感得した時から始まり、吉野山は様々な歴史の舞台となったことが、この年表から解ります。
境内
本堂 蔵王堂(国宝)
現在の本堂は豊臣家の寄進で再興されたもので、天正19年(1592年)の建立。
この蔵王堂の中に秘仏金剛蔵王大権現さまがいらっしゃいます。
今から1300有余年前、役行者が感得された権現仏です。
権現とは権(仮り)に現われるという意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。
また金剛蔵王とは、金剛界と胎蔵界を統合した意味も表しています。
金峯山寺を訪れた時は、丁度、特別御開帳している時で、金剛蔵王大権現さまのお顔を拝する事ができました。
それはそれは、大きな金剛蔵王大権現さまで、身長は7メートル!
憤怒の形相で迫力満点です!
障子で仕切られた小部屋に入り、ゆっくりと金剛蔵王大権現さまとお話をする事ができます。
金剛蔵王大権現さまには、特別御開帳時のみお会いすることができます。
観音堂
愛染堂
大塔宮御陣地
大塔宮護良親王が北条幕府の大軍に攻められて、吉野山にたてこもられた時、ここ蔵王堂を本陣として落城に際して、最後の酒宴を開いた場所です。
二天門跡
本堂(蔵王堂)の南正面、かつてはここに二天門がありました。
元弘三年(1333)吉野落城の際、前庭(大塔宮御陣地)での酒宴も終り、いざ決戦という時、大塔宮の家来の村上彦四郎義光が、宮の鎧兜を身につけて、その身代りとなって、二天門上へ駆け上がり、腹を一文字にかき切って壮烈な最期を遂げた場所です。
大塔宮はこの隙に、勝手神社横の谷を抜け、無事高野山へ落ち延びることが出来たと伝えられています。
門跡には「村上義光公忠死之所」と記した石柱が立っています。
二天門跡から階段を降りますと、左手に「後醍醐天皇導き稲荷大神」が鎮座されています。
北朝との対立が激しくなり、後醍醐天皇は吉野山の行宮に向かわれた途中夜道に迷われた時に、とある稲荷社の前で歌を詠まれましたら、紅い雲が現れ道を照らし導いてくれたとあります。
その稲荷を勧請したのがこちらの「導き稲荷」なんですね。
人びとに心の迷いがある時、こちらの神様にお祈りすると、自ずから道が開けるという言い伝えがあります。
動画
(2020年12月撮影)
御朱印帳・御朱印
御朱印帳を開くと・・蔵王権現さまがいらっしゃいます。
観音堂・愛染堂御朱印
アクセス
【所在地】〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山
【御朱印】あり
【札所】役行者霊蹟札所
【拝観料】500円(特別御開帳時は1000円)
【駐車場】なし
金峯山寺 公式サイト
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