喜光寺(きこうじ)は、奈良県奈良市菅原町にある法相宗の寺院です。
この一帯は菅原氏の治領であったことから「菅原寺」とも呼ばれています。
山号は清涼山。
御本尊は阿弥陀如来。
創建は行基、そして、行基菩薩入寂のお寺です。
それでは、土師氏が住んでいた菅原の地、喜光寺へとご案内しましょう。
喜光寺への最寄り駅は、近鉄尼ケ辻駅。
尼ケ辻駅から歩いていると、垂仁天皇陵が左手に見えてきました。
垂仁天皇と言えば、野見宿禰が提案した殉死の風習に替わり、埴輪を埋納することに決めた天皇ですね。
途中、2ケ所程、喜光寺への道案内が出ていました。
道に迷うことなく、到着できそうです(笑))
歩いて約10分程でしょうか?
到着しました。
南大門
南大門は、戦国時代 元亀年間の戦乱で焼失してしまいました。
残念ながら創建当初の姿は伝わっていないそうです。
平城遷都1200年にあたる平成22年(2010)に南大門落慶を迎えました。
高さ12mの楼門の二層目には、「いろは写経」が納められています。
喜光寺縁起
縁起によりますと、養老五年(721)、行基によって創建された時は、「菅原寺」と呼ばれていたそうですが、天平二十年(748)、聖武天皇が菅原寺に御幸された折、御本尊より不思議な光明を感得され、そのことを喜ばれて「喜光寺」の寺領を与えられて以後、菅原寺を喜光寺と改名したと伝えられています。
本堂(国重文・室町時代)
行基菩薩が東大寺建立に先だって、本堂を建立したという伝承から「試みの大仏殿」と呼ばれています。
そう言われれば、外観は東大寺大仏殿に似ているような気がしてきました(笑))
東大寺大仏殿の写真と比べてみましょう。
どうでしょうか?
大仏殿の前には、鋳銅製の八角燈籠があります。
喜光寺本堂前にも同じように灯篭がありました。
やっぱり似てますね。
外から見ると二階建てのように見えますが、中に入りますと吹き抜けで天井が高かったです。
本堂内も東大寺大仏殿と似ていました。
本堂の真ん中には、阿弥陀如来坐像(国重文・平安時代)。
脇侍には勢至菩薩坐像(南北朝時代)、観世音菩薩坐像(南北朝時代)さまがおられました。
脇侍におられた勢至菩薩さまの優しいお顔がとても印象に残っています。
慈しみあふれるといいますか、なんともいえない優しいお顔でした。
喜光寺は蓮の寺としても有名でして、本堂前にはたくさんの蓮の鉢がありました。
喜光寺の蓮は250鉢以上あるそうですので、こちら以外にもどこかにあるのでしょう。
喜光寺のある西ノ京周辺には、蓮を愛でることができるお寺が3つあり、喜光寺の南に位置する唐招提寺・薬師寺も多くの蓮を境内で育てておられます。
西ノ京に蓮の花が咲きほこる時期にロータスロード(蓮の道)の喜光寺・唐招提寺・薬師寺をめぐるイベントなどもあるそうです。
特別ご朱印のついた共通拝観券もあるそうですので、是非、蓮の花の咲く時期にも訪れてみたいです。
本堂in灯篭
行基堂
本坊(写経道場)
本坊には60畳ほどの広さの「お写経道場」があり、いつでもいろは写経をすることができます。
「いろは写経」とは、いろは歌を中心とした200文字程の写経です。
200文字程の文字でひらがなも多い為、30分程で書写することができました。
写経道場は椅子でしたので、正座の苦手な私は大変有難かったです(笑))
◆納経料:2,000円
一乗院宮墓地
喜光寺境内をぶらぶらしていると気になる建物がっ?
「宮内庁」と書いてあります。
私の目の前には、地面スレスレの位置で軽く跨ぐことのできるチェーンがあるのみ。
はたして、、跨いで入ってよいものかどうか・・・悩みましたが止めました。
自宅に帰ってネットで検索してみました所、どうやらこちらは一乗院宮墓地と言って、皇族の方の墓地のようです。
一乗院(いちじょういん)とは、奈良県奈良市の興福寺にあった塔頭の中でも門跡が入る院家の一つであったとのこと。
一乗院宮墓地は、東大寺西塔跡の東隣にもあるようです。
喜光寺 御朱印
【所在地】奈良県奈良市菅原町508
【御朱印】あり
【駐車場】あり
【札所】大和北部八十八ヶ所霊場 第25番
【拝観料】大人500円、子供(小中学生)300円
【アクセス】近鉄橿原線尼ヶ辻駅下車、徒歩10分
【駐車場】南大門前駐車場に乗用車15台
喜光寺 公式サイト