吉水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡に鎮座されています。
御祭神は、後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印(きっすいいんそうしんほういん)を配祀。
こちらの神社は元は吉水院(よしみずいん)と言って、役行者が創建した格の高い修験者の僧坊でありました。
明治時代に神仏分離が行われ、後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、明治八年に「吉水神社」と改められました。
境内
鳥居をくぐって、参道を歩いて行きます。
こちらの参道は、紅葉がとてもきれいです。
手水舎
神社の境内には日本最古の書院建築(重文)があり、ユネスコより世界遺産として登録されています。
一年振りに訪れたこの日(2016秋)は、屋根の修理もほとんど終わってきれいになっていました。
昨年訪れた時は、修繕中で足場が組まれていてこのような感じでした。
さて、その書院ですが、文治元年(1185)12月、ここ吉水院に兄頼朝の追手から逃れた源義経と静御前が弁慶と共に隠れ住まわれた場所でもあります。
書院の中には、数々の遺品が残されています。
では、ここから源義経と静御前と弁慶の足跡を見て行きましょう。
まず、境内にあったのは「弁慶力釘」です。
岩には、大きな釘が打ち込まれていました。
この釘、弁慶は指でねじ込んだそうです。
すごい怪力です。
豊臣秀吉が吉野で盛大な花見をされた時に、こちらの吉水院を本陣とされ、数日間滞在されました。
その時に太閤秀吉も、この「弁慶力釘」をご覧になられました。
その力釘を見て、「力をもらいたい・・力を!」っと言って、触れられたそうです。
この力釘に触れると、何やらご利益がありそうです。
では、書院の中に入って行きましょう。
書院の中に入りますと、すぐ左手に「義経潜居の間」があります。
源義経が兄の頼朝に追われてこの吉水院を頼って来た時、静御前・弁慶等と共に約5日間滞在された部屋です。
その横に、一畳ほどの「弁慶思案の間」があります。
約5日間、この場所に身を潜めていましたが、やがて兄頼朝の追手が迫って来ます。
義経はやむをえず山伏の姿に身を変え、弁慶と共に大峰山を目指すことになりました。
大峰山は女人禁制の為、静御前とはここで別れることに・・・。
「吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」
という静御前の歌が残されています。
吉野を舞台にした義経と静御前の悲恋物語は、後世に伝えられています。
月日は流れ、延元元年(1336)、御醍醐天皇が京の花山院より秘かに吉野に行幸されました。
その時、こちら吉水院の宗信法印が三百名の僧兵を従え、天皇をここにお迎えし、天皇もこのお部屋を南朝の皇居と定められました。
そのお部屋がこちらの「後醍醐天皇玉座」です。
このお部屋は上段の間五畳と下段十畳敷で構成された桃山式書院です。
「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音」
この有名な御製は今も尚、玉座の下に流れ続ける瀬古川のせせらぎを聞かれて、御寝の際、後醍醐天皇が歌われたものです。
こちらの書院はその他、貴重な文化財や宝物が信じられないくらい素朴に展示されています。
御醍醐天皇御物や、義経の鎧、そして豊臣秀吉が吉野山で盛大な花見の際に愛用した金屏風などが、もう手に触れられる距離で展示されています。
とても素晴らしい書院でした。
境内社 恵比寿神社
御祭神:蛭子大神、事代主命
御神徳:商売繁盛
動画
(2020年12月撮影)
御朱印
吉水神社 御朱印
アクセス
【所在地】奈良県吉野郡吉野町吉野山579
【御朱印】あり
【札所】役行者霊蹟札所
【駐車場】なし
【書院拝観料】大人・大学生400円、中高生300円、小学生200円
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