させん堂不動寺は大阪府大阪市城東区諏訪にある真言宗の寺院です。
江戸時代には広く信者を集め、参詣者の列も途絶えることがなかったさせん堂不動寺ですが、明治維新の際廃仏毀釈にあってから、往時の賑わいは殆ど其の面影を失ってしまいました。
語呂合わせの洒落が好きだった昔の人がよく用いた言葉に、江戸では「恐れ入谷の鬼子母神」大阪では「ドッコイそうはさせん堂不動さん」があり、古くから霊験あらたかで有名であったようです。
それでは、させん堂不動寺へと参りましょう。
本堂
御本尊は鎮宅不動明王。
させん堂不動寺は、豊臣秀吉が大阪城を築城したとき、現在の生國玉神社のあたりにあった不動堂は取り壊され、慶長七年(1602)に東成郡木野村において再建されたと伝えられています。
その後、水害に見舞われ、宝暦九年(1759)に現在の場所へ移されました。
江戸時代の書物「摂津名所図会大成」に「左専堂不動」としてその名が見え、日々参拝の人々が絶えなかったと伝えられています。
江戸時代はこんな風だったんですね。
豊臣秀吉の時代は「不動堂」という名前でしたけど、この地に移されてから「左専堂 不動尊」という名前になったのかな?
っと言うのも、昔、この辺りは左専堂町という名前であったようです。
左専とは、菅原道真公が左大臣から大宰権帥(だざいのごんのそち)に任命されて筑紫へ下向の途中、河内国道明寺へ立ち寄る際に諏訪神社の森で暫し休憩されたという故事に由来しているとか。
菅原道真公が左遷される時に来られた場所だから左遷。
左遷ではあまり縁起よくないから左専という字になったという説もあるようです。
お地蔵さまと役行者
お百度石
このお百度石、とっても古いような感じがしました。
多分、江戸時代からずっとあるのかも。
もう、ほとんど文字が消えかかっていますけど、「道頓堀 右」という字があるのが解ります。
山門前に左専道小学校発祥之碑
左専道小学校は 現在の諏訪小学校の前身です。
1875(明治8)年に左専道村と永田村の組合立の「第5大区二小区左専道小学校」として創立され、後藤という人物の借家を校舎にあてたのでここが「発祥の地」とされました。
させん堂不動寺御朱印
【所在地】大阪市城東区諏訪2-13-5
【御朱印】あり。
【駐車場】未確認。
【アクセス】JR東西線 放出駅下車 徒歩10分