法起院(ほうきいん)は奈良県桜井市初瀬にある長谷寺の塔頭寺院です。
法起院は徳道上人(とくどうしょうにん)が晩年隠棲された所で、ご本尊は徳道上人ご自作と伝えられる徳道上人像です。茶褐色のお顔がとても印象的でした。
それでは、西国三十三所番外札所でもある法起院へと参りましょう。
長谷寺の駐車場に車をとめて歩くこと2~3分でしょうか。
法起院に到着しました。
かわいいわらべ地蔵さまが迎えてくれました。
徳道上人と法起院の縁起
徳道上人は斉明天皇の御宇二年(西暦六五六年)、播麿の国矢田部の里で誕生なさいました。
その容貌は気品に満ち、眼は真澄鏡(ますみかがみ)のように美しく清らかで、髪の毛は 梳(くしけず)れば滴(したた)るように黒く艶やかに光り、深くたたえられた優雅さと聡明さに里人達は目を見張ったそうです。
成長されるにしたがって読書を好み、手に筆を持つことを無上の楽しみとし、神童との噂の中で 連日精進をお重ねになりました。
しかし、突然起こった不幸は上人の父を奪い、そして数年の後には母も 不帰の客となったのです。
仏の道を極めることこそ人間に生まれた最高の道であり、 亡き父母の菩提を弔うことが今の自分にとっては、真実の報恩であろうと大悟徹底された上人は、当時我が国随一の大名僧であった大和長谷寺の道明大徳との間に師弟の契りをお結びになりました。
約十年間の修行の後、智道兼備の名僧となられた上人は、大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺をはじめ諸国に四十九ヶ所の寺院を建立されました。
その中でも大和の長谷寺では本尊大観音を御造立されました。
前記の養老二年の春、突然の病のために仮死状態にあった上人は、夢の中で閻魔大王にお会いになり、悩める人々を救う為に三十三ヶ所の観音菩薩の霊場を広めるように委嘱され、そして三十三ヶ所の宝印を与えられて仮死状態から解放されました。
上人は三十三ヶ所の霊場を設けましたが、人々は上人を信用しなかったので、やむなく宝印を摂津中山寺にお埋めになったと伝えられています。
二百七十年後の永延二年(西暦九八八年)に、花山法皇がこの宝印をお掘り出しになり、今日の三十三ヶ所を復興なさいました。
(法起院公式サイトより引用)
閻魔大王から三十三ヶ所の宝印を与えられ、仮死状態から戻った徳道上人は晩年この地に隠棲し、一宇を営まれたのが法起院です。
法起院の境内
本堂
徳道上人により天平7年(735)創建。元禄8年(1695)長谷寺化主英岳僧正により再建。総本山長谷寺塔頭開山堂として現在に至ります。
徳道上人御霊廟
御霊廟の中に入りますと、周囲に西国霊場各寺院の御砂が納められています。
西国三十三所のお砂踏みをする事ができます。
霊廟の奥には「はがきの木」がありました。
葉の裏に尖ったもので書くと文字が浮かび上がります。「はがき」の由来となった言われる木で願い事を書くと叶うと言われています。
たくさんの方が書かれていました。
上人沓脱ぎ石
上人が法起菩薩と化されて松の木に登られた時の沓脱ぎの石。
上人は境内の松の木登って、法起菩薩となって遷化したと言われています。
『法起院』という名称は、そこからの由来であるようです。
沓脱ぎの石にふれると願い事が叶うと言われています。
庚申堂
青面金剛像が祀られています。
青面金剛とは中国の道教思想に由来し、日本の民間信仰のなかで独自に発展した尊像で、病魔を退け、健康長寿のご利益があると信仰されています。
地蔵尊と稲荷社
弁財天堂
弁天さまは金運、福知、延寿のご利益があると信仰されています。
弘法大師さまと馬頭観音さま
法起院の御朱印
西国三十三所の番外札所の御朱印を拝受しました。
西国三十三所巡礼は、一説に奈良の長谷寺(はせでら)を開いた徳道上人(とくどうしょうにん)によってはじめられ、その後、花山法皇(かざんほうおう)の中興を経て広がっていったものと伝えられています。
左上には、閻魔大王から三十三の宝印を頂く徳道上人の印が♪
法起院の御詠歌
御詠歌を御朱印帳に書いて頂くこともできます。
法起院の御詠歌
「極楽はよそにはあらじわがこころ おなじ蓮(はちす)のへだてやはある」
御詠歌の意味
「極楽は遠くにあるものではありません。あなたの心の中に求めなさい。この世に咲く蓮の花と、あの世に咲く蓮の花とはともに同じ蓮の花です。決して違うものではありません。」
法起院の御詠歌は大変意味深く、いつまでも心に留めておきたい御詠歌です。
拝観・納経時間
◆3/20~11/30 → 8:30~17:00
◆12/1~3/19 → 9:00~16:30
◆拝観料:無料
◆年中無休
法起院へのアクセス・駐車場
長谷寺から徒歩3分
詳しくは法起院公式サイトよりご確認下さい。
◆寺前に参拝者無料駐車場あり