智恩寺(ちおんじ)は、京都府宮津市文珠字切戸(きれと)にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
山号は天橋山(てんきょうざん)または五台山。
奈良県桜井市にある安倍文殊院(安倍文殊)、山形県高畠町にある大聖寺(亀岡文殊)とともに、日本三文殊のひとつに数えられています。
切戸にあることから「切戸の文殊」、謡曲「九世戸(くせのと)」の題材になったことから「九世戸(くせど)の文殊」、智恵を授かる文殊さんとして有名なことから「知恵の文殊」とも呼ばれています。
受験合格や資格試験合格などを願い、たくさんの方がお参りに来られます。
それでは、智恩寺へと参りましょう。
智恩寺のご本尊である文殊菩薩は秘仏とされていて、正月三が日、1月10日、7月24日の年5日の開帳があります。
縁起
寺伝によりますと、808(大同3)年、平城天皇(へいぜいてんのう)の勅願寺として創建されました。
智恩寺の文化財に「九世戸縁起(室町時代)」が残されています。
「九世戸縁起」には、天橋立の生成と文殊信仰との関係が説話的に述べられ、醍醐天皇の御時に勅願寺として文殊菩薩を本尊とする智恩寺が建立されたと説かれています。
この縁起は観世小次郎信光の作になる謡曲「九世戸」の素材にもなりました。
境内
智恩寺は天橋立を渡ってスグの所にあります。
赤い〇印が智恩寺です。
多宝塔(重文)
丹後国守護代で府中城主延永修理進春信によって建立されました。
室町時代のものとして丹後地方唯一の遺構です。
鉄湯船(重文)
現在は手水鉢として使用されていますが、もとは寺院の大湯屋で寺僧の施浴に用いる湯船として制作されたもの。
側面内部にある鋳出銘から、この湯船は興法寺(弥栄町)のものであったことが解っています。
文殊堂
雪舟筆の「天橋立図(国宝)」には、天橋立南端に現存する多宝塔のほかに、裳階(もこし)付で宝形造と思われる智恩寺が描かれています。
文殊堂が現状のように改められたのは、明暦元年(1655)から始められた、宮津藩主京極高国による修理によるものです。
石造地蔵菩薩立像(室町時代)
智恩寺境内の多宝塔と向かい合うところに立っている石仏です。
雪舟の「天橋立図」にも描かれています。
いずれも等身で、左手宝珠を捧げ、右手は今は失われていますが、錫杖を持つ形から地蔵菩薩像と思われます。
この二体の石仏より北にもう一体、お地蔵さまがいらっしゃいます。
鐘楼門(暁雲閣)
二人の子女を相次いで亡くした宮津の商家木村正英によって、享保七年(1722)に建立されました。
その菩提を弔うべく、二人の法名「暁山彗察」「洞雲自照」から「暁雲閣」と呼ばれています。
鐘楼
明治十四年建立。東西、南北ともに三メートル六十センチ。
本堂東側の暁雲閣に天文年間鋳造の梵鐘が吊在してありましたが、嘉永年間にさらに大口径の物を改鋳したもので現所に移転されました。
かわいい扇形のおみくじ
松の木に吊るされた扇形のおみくじがかわいいです。
女性には人気のおみくじのようですよ♪
さてさて、智恩寺境内から少し行くと「智恵の輪」があるようですので行ってみました。
ほんの数歩でやってきました(笑))
こちらが智恵の輪です。
この輪灯籠をなぜ「智恵の輪」というかは、いろいろと説があって明らかではないそうです。
昔から智恵の文殊さまの境内にあったからなのかな~?
この智恵の輪灯籠の輪をくぐり抜けた人は、文殊さまの智恵を授かる事ができるそうなんですけど、、ちょっと難しそう(笑))
智恵の輪灯籠からは廻旋橋が見えます。
廻旋橋から天橋立方面の望む~♪
智恩寺は風光明媚な天橋立観光地にあり、とても素晴らしいお寺でした。
バスツアーのお昼休憩を利用してお参りさせてもらいましたので、ちょっと慌ただしかったかな(-_-;)
また、是非訪れたいお寺です。
御朱印
御朱印帳を持参していなかったので、書置きを拝受しました。
【所在地】京都府宮津市天橋立文珠小字切戸
【御朱印】あり。
【アクセス】京都丹後鉄道宮豊線天橋立駅下車、徒歩約5分。
【駐車場】あり。