頂法寺(ちょうほうじ)は、京都市中京区堂之前町にある天台宗系単立の仏教寺院です。
山号は紫雲山。
ご本尊は如意輪観音(秘仏)。
本堂が平面六角形であることから、多くの人から「六角堂」と呼ばれています。
華道、池坊の発祥の地としても知られています。
それでは、見どころがたくさんある頂法寺へとご案内いたしましょう。
社伝によりますと、淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子は、用明天皇2年(587)、四天王寺建立の材木を求め、京都盆地を訪れます。
太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなってしまいます。
観音像は光明を発し、「自分は七世にわたって太子を守護してきたが、今後はこの地にとどまり人々を救いたい」と太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したといわれています。
聖徳太子が沐浴をしたと伝えられる場所が今も残っています。
こちらは聖徳太子が祀られている太子堂。
内部には、太子が合掌して「南無仏」と唱える二歳像、父である用明天皇の病気平癒を祈る十六歳像、仏教の受容をめぐって物部守屋と戦った姿を表す騎馬像が安置されています。
さて、太子堂の西側、池の中にある石でできた井筒があるのが見えますでしょうか?
ズームしてみましょう。
少しピンボケてしまっていますが、井筒があるのがわかります。
この場所は、聖徳太子沐浴の古跡と言われています。
当時このあたりにあった池に聖徳太子が入り、身を清めたと伝えられています。
この池には白鳥が泳いでいました。
注意書きに、「かみつきますので白鳥に近づかないようにして下さい」とありました。
優雅に泳いでいるのに・・噛みつくんですね。。
本堂
六角形の本堂は明治10年(1877)の再建で、正面に拝堂が付属しています。
六角堂の御詠歌は
「わが思う心のうちは六(むつ)の角ただ円(まろ)かれと祈るなりけり」。
「六の角」とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことだそうで、これらを捨て去って角を無くし、円満になること、すなわち「六根清浄を願う」という祈りを込めた形と伝えられています。
本堂の裏側にも多くの仏像が安置され、小窓から拝むことができます。
へそ石
桓武天皇の延暦12年(793)に長岡京より平安京は遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったため天皇が遷座を祈願されたところ、御堂が自ら5丈(約15m)ばかり北へ退かれたと言われていて、この石はその際に取り残された礎石であると伝えられています。
六角堂は下京の町衆の寄合の場であり、場所も京都のほぼ中央に当たることから人体に例えて「へそ石」とも「要石」とも呼ばれています。
祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「籤(くじ)取り式」も江戸末期まで六角堂で行われていました。
当時は六角通りの中央にありましたが、明治期に境内に移されました。
縁結びの六角柳
嵯峨天皇が人を遣わしてみますと、柳の下には一人の美しい女性が立っており、天皇はただちに妃として迎えたと言われています。
このお話から「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」という噂が広がり、「縁結びの柳」と呼ばれるようになりました。
青々と茂った枝が地面すれすれまで伸びる姿から「地ずり柳」とも呼ばれています。
十六羅漢
羅漢さまとは、仏の教えを護り伝えることの出来る優れたお坊様に与えられた名前です。
十六と言うのは、方位の四方八方を倍にした十六を表し、あらゆる場所に羅漢さまが居られることを意味しています。
この羅漢さまは「和顔愛語(わげんあいご)」を実践され、いつも「にこにこ」されています。
「和顔愛語」の教えとは、いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、必ず良い報いがあると説かれたものです。
この羅漢さまのように、いつもにこにこしていたいですね。
鐘楼
山門の外側、六角通りを隔てた飛地境内に鐘楼が建っています。
戦国時代、京都に戦乱の危機が迫ると、六角堂の鐘がつかれたという記録があり、現在の位置は江戸時代初期までさかのぼることができます。
鐘は第二次世界大戦時の金属供出で失われましたが、昭和29年(1954)に再鋳されました。
西国三十三所 頂法寺 御朱印
【所在地】京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248
【御朱印】あり
【札所】西国三十三所第十八番、洛陽三十三所観音霊場第一番、聖徳太子霊跡第二十五番。
【拝観料】無料(境内自由)
【拝観時間】6:00〜17:00(納経時間 8:00〜17:00)
【駐車場】未確認。
【アクセス】京都市営地下鉄「烏丸御池」駅5番出口から徒歩3分、阪急京都線「烏丸」駅21番出口から徒歩5分