安倍晴明神社(あべのせいめいじんじゃ)は大阪府大阪市阿倍野区に鎮座されています。
「清明宮御社伝書」によりますと、寛弘四年(1007年)の創建と伝えられています。
御祭神は安倍晴明公。
安倍晴明公は古代豪族阿部氏の出で、天慶七年(944年)この地に誕生され、のちに天文博士となられました。
安倍晴明神社は50mほど離れた所にある阿倍王子神社の飛び地境内社になります。
それでは、安倍晴明神社へと参りましょう。
境内
安倍晴明神社は住宅街の中に鎮座されていました。
鳥居をくぐると空気が一変。
ゆったりとした空気が流れています。
清明水
こちらの手水舎のお水は清明水と呼ばれている井戸水。
手水舎には龍神様。
龍神様は雨と水を支配される神様で、仏教では八代龍王と呼ばれています。
陰陽道でも天の東西南北と中央に五龍神が居て、天空を支配されているのですが、昔、安倍晴明公が雨乞いの御祈祷をされた時、この五龍神に祈って大雨を降らせたと伝えられています。
拝殿
現在の社殿は大正十四年崇敬者の協賛により再興されたもの。
そんなに広くはない境内ですが、落ち着ける雰囲気で素敵な神社です。
泰名稲荷神社(やすないなりじんじゃ)
江戸時代からある稲荷神社。
安倍晴明大神の父・安倍保名の名を冠しています。
安倍晴明公産湯井の跡
江戸時代の摂津名所図会にも「産湯井」が描かれています。
ここで、安倍晴明公の誕生伝説をご紹介しましょう。
葛の葉子別れ
村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。
摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。
そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。
童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白し、さらに次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。
恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。
このお話は、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目「葛の葉子別れ」の伝説で広く知られています。
安倍晴明誕生地の碑
この石碑は江戸時代の文政年間に泉州堺の住人、神奈辺大道心が建立したもの。
安倍清明神社は、晴明の子孫と称する保田家が代々社家として奉仕してきましたが、幕末社家の没落とともに衰微し、明治時代には文政年間 (1818年~1830年)に堺の商人・神奈辺大道心が建立した「安倍晴明生誕地」の石碑と小祠のみであったといわれています。
慎石(孕み石)
この大石は古代の船の錨(いかり)で鎮める意から安産を祈る石となり、孕(はら)み石とも呼ばれて信仰されています。
御朱印
五芒星の印がいいですね!
五芒星には魔除け効果があり、安倍晴明もこの五芒星を魔除けとして活用していました。
御朱印は安倍晴明神社より50mほど離れた阿倍王子神社で拝受しました。
初穂料300円。
【所在地】大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16
【御朱印】あり。
【アクセス】阪堺上町線「東天下茶屋駅」下車 東南へ徒歩5分。大阪シティバス「王子町」下車 徒歩3分 。
陰陽道家、高橋圭也氏が監修・祈祷した心願成就・運気上昇の祈願が込められたブレスレット