徳融寺(とくゆうじ)は、奈良県奈良市にある融通念仏宗のお寺です。
御本尊は阿弥陀如来立像。
かつては高林院と号する元興寺の塔頭でした。
天正18年(1590年)に現在地に移転し、寛文7年(1667年)に休岸上人によって堂宇が整備されました。
徳融寺は、右大臣藤原豊成公の旧宅跡に建築され、豊成の娘・中将姫はこの地で生まれ育ったと伝わります。
境内の墓地には豊成公と中将姫を祀った二基の石塔があります。
それでは、徳融寺へと参りましょう。
境内
山門入り口に、「おとなの寺小屋」の案内版がありました。
奇数月に開催されているようで、「どなたも自由に御参加ください」と書かれていました。
「吉村長慶の生涯(奇豪長慶の石仏みてあるき)」が講演されるようです。
テキスト代300円でお話が聞けるなんて、いいな♪
徳融寺には、吉村長慶氏と先祖代々のお墓があります。
徳融寺は右大臣藤原豊成公の旧宅跡に建築されました。
中門がとても美しいです。
徳融寺略案内
当寺はもと南都七大寺の一、元興寺の境内にあり、観音堂とも別時念仏の道場であったとも伝えている。
室町時代、元興寺は土一揆で罹災したため本尊を現在地へ移し、天正十八年(1590)融通念仏の檀家寺院として復活した。
本堂は寛文七年(1667。県文)林岸上人の再建。
木造阿弥陀如来立像を祀る。
頼朝公の妻北条政子の念持仏であったという。
(一部抜粋)
中門をくぐると右手に吉村長慶像
奈良を中心に大阪や京都、高野山や耶馬渓などに200以上の石造物を残された吉村長慶氏。
昭和14年77歳の洋服姿の等身大石像で、右手に帝国憲法、左手に如来道の巻物を持っておられます。
スーツの胸の辺りのボタンは埋め痕で、長慶氏の髪が埋められているそうです。
本堂(奈良県指定有形文化財)
鐘楼
徳融寺が藤原豊成公宅跡であったことから、春日神社の水谷川忠起氏、南面縦帯部には、「賛成伏見宮文秀女王陛下」の十一文字があり、梵鐘は戦事下の金属回収の危機をまぬがれました。
観音堂
御本尊は子安観音立像(平安初期)。
大和北部八十八ヶ所四番札所。
御詠歌「願ひをばかけてぞむすぶ結肌(ゆわた)帯たはやすくしも解かせ給ひぬ」。
世界二聖・大日如来像
釈迦と十字架を背おったキリストが横臥し、マント姿の吉村長慶氏(造立者)が二人の間にわり込んで「あなた方が寝ている時ではない。はやく起き上ってこの世の乱れを救ってください」と胸をゆすっている。昭和12年の造立。
吉村累代墓
毘沙門堂
毘沙門堂の横に吉村長慶氏のお墓がありました。
一番最初の生前墓であるようです。
大念佛寺には、吉村長慶の生前に作られた石棺があります。
豊成公中将姫石塔
右は藤原豊成公の石塔 左は珍しい四方石仏。
中将姫の石塔
雪責の松
継母により折檻された場所と伝わる「雪責の松」を境内で見つけました。
継母に盗みの疑いをかけられ、雪の降る朝、老松の下で割竹打ちの折檻を受けた。歌舞伎、人形浄瑠璃の舞台となる。
向う築地塀下に昭和四十九年頃まで松の切り株が存在した。
動画
アクセス
【所在地】奈良県奈良市鳴川町25
【札所等】大和北部八十八ヶ所霊場 第4番
【お手洗い】あり。
【駐車場】未確認。
【交通アクセス】近鉄奈良駅よりバスで北京終にて下車し、北へ徒歩およそ130m。
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