吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、岡山県岡山市北区一宮に鎮座しています。
備前国一宮で、「朝日の宮(あさひのみや)」とも呼ばれています。
大化の改新の後、吉備国が備前・備中・備後に分割されたのち、備前国一宮として創建されました。
ちなみに、備中国一宮には「吉備津神社」、備後国一宮には「吉備津神社(福山市)」が鎮座しています。
吉備津神社を訪れた後、吉備津彦神社へとやってきました。
それでは、桃太郎伝説が残る吉備津彦神社へと参りましょう。
吉備津彦神社の主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)。
吉備津彦神社には、「桃太郎」のお話のもとと言われる温羅退治のお話が伝わっています。
主祭神である大吉備津彦命の温羅退治は、昔からのこの地に伝わる神話で、桃太郎の童話は、この神話がもとになったとも言われています。
境内
随神門(ずいじんもん)をくぐって、境内の中へ
随神門は元禄10年(1697年)池田綱政公が造営したもので、二柱の門番の神様がお祀りされています。
御由緒
境内には、退治された温羅を、今では大吉備津彦命とともに、岡山を守る神として祀った「温羅神社」をはじめ、大吉備津彦命に従った武人などを祀る小さな社が多数にあります。
また、敷地内には、背後にそびえる「吉備の中山」の山頂に通じる登山道があり、命の墓とされる前方後円墳の中山茶臼山古墳など、古代の遺跡を巡ることができます。
手水舎
手水舎の横には大きな灯籠があります。
高さ11.5m、笠石8畳のとても大きな灯籠です。
日本一大きな灯籠なのだそうです!
文政13年(1830年)から安政4年(1857年)に渡り、寄付がよせられ、安政6年(1859年)に天下泰平を祈願して建立されました。
石段を上がって、拝殿へ
拝殿
主祭神の大吉備津彦命は、第7代孝霊天皇の第三皇子で、元の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと、五十狭芹彦命)」。
崇神天皇10年、四道将軍の1人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と吉備を平定されました。
相殿神には大吉備津彦命の姉である、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が祀られています。
倭迹迹日百襲姫命は邪馬台国の女王「卑弥呼」ではないかという説があり、箸墓古墳(奈良県)に埋葬されています。
大吉備津彦命と倭迹迹日百襲姫命が姉弟の関係であると知ってビックリ!
そうすると、、「桃太郎」と「卑弥呼」が姉弟であったという事に?
面白い発見です(笑))
祭文殿(さいもんでん)
祭文殿は、祭典やご祈祷を斎行する御殿です。
かわいい「桃みくじ」がたくさん結ばれていました。
渡殿と本殿
吉備津彦命を祀る本殿は岡山藩主池田綱政によって、1697年に再建され、岡山県の重要文化財に指定されています。
流麗な三間社流造りの神殿は、飛鳥時代の社殿建築の粋がつくされ、荘厳華麗にして吉備国の神社建築が伝統とする“流造り”の正統な姿を示す社殿としても貴重な建築物とされています。
本殿、渡殿、祭文殿、拝殿と社殿が一直線に配置されているのも特徴です。
とても美しい本殿です。
この場所の空気感がとても清々しく、気持ちが良いのです。
「ずっとご本殿を見ていたい」・・・、そんな気持ちになりました。
拝殿前にある平安杉
樹齢1000年以上とされる御神木です。
昭和5年の社殿火災の火にあぶられ幹の空洞化と老朽化が近年進行し倒木の恐れがありましたが、平成16年に大手術治療が行なわれました。
子安神社と天満宮へと続く道
境内にはたくさんのお社があり、全てのお社にご挨拶をする事ができなくて残念でした。
また参拝できる日を楽しみに♪
御朱印
御朱印はセルフ式になっていました。
通常御朱印(右)と、夏至日の出祭の特別御朱印(左)を頂きました。
アクセス
【所在地】〒701-1211 岡山市北区一宮1043
【駐車場】無料駐車場あり。(約100台)
【開門時間(境内・駐車場)】午前6時~午後6時
【交通アクセス】JR岡山駅からJR桃太郎線 備前一宮駅下車 徒歩3分(正面鳥居まで)。