光雲寺(こううんじ)は、奈良県高市郡高取町にある黄檗宗のお寺です。
南朝の忠臣越智氏の菩提寺で、南北朝時代初期の1346年、この一帯を治めていた越智邦澄(おちくにずみ)が出家し、越智家の菩提寺として「興雲寺」の名で建立したことが寺の始まりと伝わります。
お寺の入り口には、樹齢1000年になる厄除け杉がそびえていて、明日香にある岡寺の星祭りには、この杉の枝を持ち帰り厄払いの行事に使われ今日に至っています。
ご本尊は釈迦如来坐像。
境内には方丈庭園があり、緑あふれる静かな空間となっています。
それでは、異国情緒漂う光雲寺へと参りましょう。
境内
お寺の入り口にある社号標と厄除杉
樹齢千年に近いご神木の杉。
この杉の木は、天正年間(天正十年頃といわれている)織田信長の命を受けた筒井順慶に攻められた鳥屋陣羽守の息子二人が、追手を逃れ杉の木に登り難を逃れました。その時二人の息子が、四十ニオと二十五オの厄年であったことから、厄除の杉と呼ばれています。
明日香にある岡寺の星祭りには、この杉の枝を持ち帰り厄払いの行事に使われ、今日に至っています。
参道
この参道がとってもいいです!
山門(鐘楼門)
黄檗宗の薫りがする美しい山門が迎えてくれました。
山門前には「吉野朝忠臣越智氏墓」の碑
9代目高取藩主、植村家長による山号扁額が掲げられています。
山門をくぐると正面に見える本堂(県指定文化財)
ご本尊は釈迦如来坐像。
現在の本堂は元禄十一年(1698)、第四代天湫元龍禅師住持の時に建立されたものです。
本堂に掲げられた扁額
何かが上に乗っています!
近づいてみると・・カエルでした!!笑
素敵なお庭にはベンチとテーブルがありました♪
方丈庭園
薬師堂
高取城の瓦
丸に一文字三剣(高取藩主植村家の家紋)が刻まれた瓦です。
此の瓦は我国三大山城の一つ、平成十八年に名城百選に選定された、旧高取藩植村候の居城である高取城址(国史跡)の建造物に使われていた物です。明治二十七、八年頃にお城が取り壊され、一部は社寺や当時の名士の邸宅に移築されました。
尚、此の瓦は香芝市関屋在住の当時は大庄屋であった貴族院議員の藤田芳太郎氏宅の土蔵に使われていた物ですが、今度氏の曾孫藤田俊介氏のご厚意により当寺に寄贈していただきました。
光雲寺と同じ高取町にある子嶋寺(こじまでら)には、高取城二の門が移築されています。
庫裏
光雲寺は黄檗宗大本山萬福寺(京都府宇治市)の末寺。
萬福寺の至る所には、「巡照板(じゅんしょうばん)」という厚板がぶら下げてあるそうです。
光雲寺の庫裏の入り口にも、巡照板がぶら下げられていました。
巡照板には文字が書かれています。
巡照板について調べてみますと、謹白大衆 生死事大 無常迅速 各宣醒覚 謹莫放逸と記されているようです。
意味は「謹んで大衆〔修行者〕に申し上げる、生死は仏の一大事、時は無常に迅速に過ぎ去っていくから、各人はこのことに目覚めて、弁道精進につとめ、無為に過ごしてはいけない」。
有難いお言葉に感謝です♪
巡照板を大きく叩いて、御朱印を拝受しました。
禅語 一笑千山青(いっしょうすればせんざんあおし)
「辛い時、苦しい時、そんな時ほど笑っていよう。」
光雲寺の正面には、神武天皇が国見をしたと伝わる嗛間の丘が見えます♪
動画
御朱印
アクセス
【所在地】奈良県高市郡高取町越智24
【駐車場】あり。
【交通アクセス】JR和歌山線掖上駅より徒歩約10分。
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