楠妣庵観音寺(なんぴあんかんのんじ)は大阪府富田林市にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院です。
御本尊は千手観音。
楠木正成の正室である久子は、夫と息子、一族の菩提を弔いつつ、この地で16年間の余生を過ごされました。
楠木正成夫人の久子は、楠妣庵観音寺のある大阪府富田林市大字甘南備の矢佐利に誕生され、大楠公に嫁ぐまで、この地でお育ちになられました。
久子夫人は、楠木家に嫁ぎ、正行・正時・正儀・正秀・正平・朝成の六子をあげられます。
夫の正成公を「湊川の戦い」で、子供の正行公を「四条畷の戦い」で失った久子は、名を敗鏡尼と称して、ここ甘南備の地に戻り、正成公をはじめ、一族郎党の菩提を弔い、余生を過ごされました。
この庵を称して「楠妣庵」といいます。
南門
久子夫人が余生を過ごされた草庵へと向かう階段
草庵
正平3年から16年間、久子夫人が住まわれた草庵。
久しく廃滅していましたが、伊東忠太博士の設計で、当時の様式に則り大正6年5月に建立されました。
観音堂
久子夫人の念持仏である十一面観音が安置されている堂宇。
伊東忠太博士の設計にて、吉野朝時代の様式に模して再建されました。
昭和天皇お手植えのくすの木
秩父宮殿下お手植えのくすの木
山門
山梨県甲州市の恵林寺塔頭青松軒に建立されていた門で、本坊が焼失し門のみ残存していたものを昭和39年楠公夫人600年祭に移築したもの。
栗材による四脚門。
楠公史跡河南八勝第二蹟
山門階段下には楠母子の像があります。
昭和10年大楠公600年祭に竣工。
久子夫人が正行を持仏堂で訓議の銅像。
山門階段途中にある、後醍醐天皇の隠岐より還幸を兵庫にて奉迎せし楠公の像
観音寺本堂(写真右)と、恩光閣 (写真奥)
楠木正行が、延元4年/暦応2年(1339年)に崩御した後醍醐天皇を悼み、後醍醐天皇の念持仏であった千手観音を安置した「峰條山観音殿」。
敗鏡尼(久子夫人)入寂後、楠正儀公が観音殿を「観音寺」と改められました。
◆恩光閣
昭和御大典御用材の御下賜により、昭和7年移築されました。
楠妣庵観音寺の秋の紅葉は有名です。
境内のイチョウの木も黄金色に輝き、是非訪れてみたい紅葉スポットです。
歴史ファンや楠木公を偲ぶ人々も多く訪れる、静かな趣のある寺院でした。
楠妣庵観音寺 御朱印
【所在地】大阪府富田林市大字甘南備1103
【御朱印】あり
【札所】河内西国霊場第二十番札所、楠公史跡河南八勝第二蹟
【駐車場】無料駐車場あり