阿遅速雄神社(あちはやをじんじゃ)は、大阪府大阪市鶴見区に鎮座されています。
延喜式神名帳に記されている式内社で、旧社格は郷社。
江戸時代の頃は八剣神社と称されていました。
延喜式式内社の比定を行った並河誠所(なみかわせいしょ)により、延喜式における阿遅速雄神社にあたることが解り、「阿遅速雄社社号標石」が置かれました。
それ以降、阿遅速雄神社と呼ばれるようになりました。
では、阿遅速雄神社へと参りましょう。
正門
明治初年に近在の薩摩屋敷から移築したという説から薩摩門とも呼ばれています。
こちらの正門をくぐるとスグ右手に、樹齢1000年と伝わっている大楠があります。
幹回り約6メートル、樹高約16メートル、枝張約30メートルあります。
写真で上手く伝えきれていないですね(汗)))
拝殿
拝殿前には狛犬が2対あります。
奥側の1対は昭和43年に行われた1300年祭の時に奉納された物で、手前の1対は文政3年(1820年)に奉納された物です。
御祭神は、阿遅鉏高日子根神(迦毛大神)、草薙御神劔御神霊(八劔大神)
御本殿
御由緒によりますと、阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)は本地に降臨し、土地を拓き、民に農耕の業を授けた神と伝えられています。
八劔大神に関しては、大変興味深い御由緒がありました。
少し簡単に書きますと・・。
天智天皇7年(668)11月、新羅の僧・道行(どうきょう)が、尾張國熱田宮にある御神劔・草薙御劔(くさなぎのみつるぎ)を盗み出し、船に乗って本国へ帰る途中、難波の津で大嵐に遭います。
流し流され、古代の大和川河口であった阿遅速雄神社付近でさらに嵐が強まり、これは神罰だと恐れをなして、御神劔を河口に放り出して逃げて行きます。
この事から、この地の地名が、放り出す・・放手(はなちて)・・放出(はなつて)・・放出(はなてん)となったそうです。
さて、この放り出された御神劔がどうなったのかといいますと・・。
この地の里人によって拾われ、阿遅速雄神社に数ヶ年祀られます。
その後、天武天皇の皇居である飛鳥清見原宮に遷され、朱鳥元年に皇居から熱田神宮に奉還されました。
現在も例祭日には熱田神宮より宮司か神職が参拝され、また、熱田神宮の例祭日には、阿遅速雄神社の宮司などが参列する慣習が続いています。
阿遅速雄神社が平安時代の「延喜式」という書物に登場する式内社という格式ある神社のひとつ、阿遅速雄社と考えられることを示した石碑です。
右側面には、放出村と刻まれています。
相殿社
中央に、天照皇大神、大国主大神、大歳大神、
向かって右側に事代主大神、大地主大神、
向かって左側に、春日大神、住吉大神、八幡大神、金刀比羅大神が祀られています。
大将軍社と楠木稲荷社
1868(慶応四)年に建立されたお陰灯篭。
お陰参りという伊勢神宮への参拝を記念して建立されました。
大阪市内に残るお陰灯篭はこの神社に残る一基のみで、お陰まいりを今に伝える貴重なものです。
阿遅速雄神社御朱印
【追記 2019.3.5参拝】
昨年の台風21号の影響でしょうか?
樹齢1000年のオオクスの木が折れて残念な姿になってしまっていました。
【所在地】大阪府大阪市鶴見区放出東3-31-18
【御朱印】あり
【駐車場】未確認
【アクセス】JR学研都市線・JRおおさか東線 放出駅から東へ200m。